「蒲田行進曲」「スチュワーデス物語」では“アイドル”だった風間杜夫 77歳の現在は「やりきった感」が原動力
“遅れてきたアイドル”時代の介護を経験
「僕は25歳で結婚し、30歳で長男が生まれたんだけど、女房が長男を懐妊中、オヤジが脳梗塞で倒れ、右半身不随と言語障害の後遺症が残り、10年以上寝たきりに。オフクロと女房と僕は、3交代でオヤジをみていました。僕は仕事が終わった後に病院へ行ってオヤジのヒゲを剃ったり、歯を磨いたりして、朝、オフクロと交代して。退院後もてんかんのような発作を起こすから、入退院を繰り返していたんですよ」
「蒲田行進曲」で注目されたのが33歳、「スチュワーデス物語」でブレークしたのが34歳。華やかな活躍の裏で、そんな苦労があったとは驚きだ。
「もう何の楽しみもないオヤジですから、僕がテレビに出るのを見るのが楽しみでね。『スチュワーデス物語』のときは、僕は“遅れてきたアイドル”で、雑誌の表紙になるわ、レコード出すわ、コンサートで全国ツアーするわ、で調子こいていましたけど(笑)、オヤジはどんな気持ちで見ていたのかなぁ。口がきけないから、わからなかったけど」
風間さん自身はどう受け止めていたのか。
「そんなことを期待して芝居をしていなかったので、まさか自分にそんな時期がくるとは思わなかったですよ。観ている人に喜んでもらいたくて芝居をしていたから、どこに行っても『教官!』とすごい熱量で歓迎されてうれしさ半分。あとの半分は『ブームはいつか冷めるだろう』と冷静でした。役者としては、なかなかできない経験ができました」
あらゆることを“肥やし”にしてきた風間さん。ブレーク前には日活ロマンポルノ映画に出演していたことでも知られる。
「この前、知人が『女教師 私生活』をDVDに焼いてくれたから見てみたんだけど、自分の演技を見たら『下手な役者だな~』って(笑)。耐えられなくて、途中で見るのをやめました」
■幕が下りた後の達成感が原動力
ロマンポルノから小劇場の舞台、大作映画、ドラマ、声優、ミュージカル、落語……ほぼすべてのジャンルを網羅してきた風間さんだが、年を重ねるほど、俳優として生き残るのは難しい。なぜ続けられたのだろうか。
「僕も若い頃は人気があったから、プロデュ-サーが使いたがってくれました(笑)。僕自身もイメージにこだわらず、二枚目でも三枚目でも、極悪人でも、提案されると『やってみようか』という気になった。自分のいろんな面を見せたかったから。
先日、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』でマグロの一本釣りの方が『プロフェッショナルって何ですか』と聞かれ、『ワクワク楽しく生きることだ』と答えていた。なるほどな、と。僕も演じるのが趣味で、ずっとワクワク、ドキドキしながら演じてきた。だから続いたと思うね」
近年は“達成感”が原動力になっているという。
「幕が下りた後の『よし、やりきった』という達成感が大きい。やっている最中より、終わった後、『ちゃんと懸命にやれば喜びとして返ってくるんだな』と思えるんですよ。でも、ときどきイヤになっちゃうことがありますよ。演じることはもうじゅうぶんやったし、もともと芝居のことばかり考えている男じゃないから、ちょっと暇になると『もういつやめてもいいや』って(笑)」
それでも求められ続けるのが、俳優・風間杜夫なのだろう。
(取材・文=中野裕子/ライター)
▽風間杜夫(かざま・もりお) 1949年、東京都世田谷区生まれ。8歳で児童劇団に入り子役として活躍し、中高時代は学校生活に専念。69年、早稲田大学に進学し学生演劇で演技を再開。日活ロマンポルノ映画、演出家・つかこうへいの舞台で活躍後、82年の映画「蒲田行進曲」の“銀ちゃん”役で第6回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞。83年、ドラマ「スチュワーデス物語」(TBS系)の村沢教官役でアイドル的人気を誇った。以後、ドラマ、映画、舞台などで活躍。


















