萩本欽一(14)かけ蕎麦で食いつないだ浅草修業時代「仲見世通りは意地でも見なかった」ワケ
増田「それは食べたくなるから?」
萩本「そういうものを見ると自分が悲しくなるんだよね。見ないと悲しくないね。おいしいものを見るから、それ食べたいなと思うんで。でも、ないんだもん。母親が大したもん食わしてないんだもん。浅草入ってからもかけそばとかけうどんしか食ってないんだもん」
増田「18歳で浅草行って、ストリップの東洋劇場入って」
萩本「はい」
増田「それで10年修業という」
萩本「浅草にですか? 約10年ぐらいいましたね。コント55号ができたのは、その何年か前。あ、だから10年はいなかった。18歳で入って28歳でもう家建ててんだよね。55号は25歳でコンビ組んだんですよ。だから有名にになるまで7年だね、7年いた」
増田「昭和41年ですね。昭和41年に後のコント55号ができたと」
萩本「だから7年、18歳から25歳。10年いないな、浅草に。55号組んで、それから浅井企画さんに所属したのが6年間です」


















