松尾雄治さん<5>入社8年目で係長に「デカい社宅に移った」
「ラグビー部とはいえ、仕事は一般社員と同じだったから、異動も経験しました。入社した時は運輸課の陸運担当。次は海運担当に。外国から帰ってきた船は、鋼材を積んでまた出航するんですが、その間の行程管理が主な仕事でした。ちゃんと仕事もしてたでしょ? そのあと、能力開発課に移って社員教育の担当に。新入社員の教育や昇格試験関係ですね。
入社8年目には人事課に異動して係長になった。当時の新日鉄は完全に年功序列だったけど、周りの連中からいきなり“松尾係長”なんて呼ばれるのは、ちょっと照れくさかったね。しかも、係長の社宅は一軒家で凄くデカいんですよ。グラウンド横の一番近い場所でさ。入社2年目に結婚して子供が2人いたけど、それでも部屋が余ってた。それが、4000~5000円の家賃で借りられる。ありがたかったね~」
当時、一般社員と勤務体系が同じだったのは、ラグビー部と柔道部だけ。他のスポーツは、「半ドンで午後から練習」だったとか。給料も出世スピードも同じ。チームが日本一になったとはいえ、特別な手当はなかったと笑う。