小島慶子さん<4>ラジオのメイン司会でギャラクシー賞受賞
お涙頂戴の演出に納得がいかず、アシスタントとしての役目を果たせなかった。プロデューサーに怒鳴られ、大物司会者からは共演NGとなる。この一件をきっかけに、テレビのバラエティー番組から遠ざかった。その頃、ラジオ番組のメイン司会の話が舞い込む。1998年のことだ。
「それまではテレビのゴールデンに出ていたので、正直、最初は乗り気ではありませんでした。ラジオなんて日陰のメディアだ、都落ちだと思っていたんです。でも、『もう少し年を重ねたら、必ず才能が開花するから。焦らないで』と、ずっと励ましてくれた先輩アナの宇野淑子さんが、『絶対に小島の財産になるからやってみなさい』と背中を押してくれた。私を奮起させてくれたのです」
それが、のちに大人気となる「バトルトークラジオ アクセス」。リスナーも交えて時事問題を討論する生放送のラジオ番組で、当時としては画期的だった。小島さんの役割は、スタジオのコメンテーターと電話でつないだリスナーに議論の場をつくることだった。
「難易度の高い仕事でしたが、なぜか評判はよかった。私はテレビの時と同じ感覚で、自分の意見を率直に話しました。これがテレビだと叱られ、ラジオだと絶賛される。不思議でしたね。リスナーからもディレクターからも認められて、やっと自分の居場所を見つけられたと思いました」