無駄遣いの極み…未来に影を落とす東京五輪と大阪の万博
正月を迎えると、昔だったら「今年はやるぞ」という気持ちになったものだ。
今年は、どうも違う。楽観主義の僕でさえ、気分がめいってしまう。とてもじゃないが、明るい未来が見えないのだ。
メディアは56年ぶりに東京で開かれる五輪を盛り上げようとしている。だが、日本経済の現状を考えれば、ワクワクすることはできない。団塊の世代の大量リタイアに加え、少子高齢化対策を怠ってきたツケで、国内は深刻な人手不足に見舞われている。有効求人倍率が高止まりを続けているのは、景気が良いからではない。政府は不足分を外国人で補おうとしているが、これはまた差別や格差といった別の問題を生むだろう。その場しのぎで何とかなるようなことではない。
そんな中で東京五輪を開く意味がどこにあるのか。会計検査院によると、国の関連支出は昨年度までの6年間で1兆600億円を超えているという。壮絶な無駄遣いである。ちなみに今回マラソンが行われる札幌市は、2026年の冬季五輪招致に手を挙げている。1998年の長野冬季五輪も自治体の負担が大変大きかった。競技会場だったスキー場が閉鎖されるという報道も最近あったが、大会自体の経費はもとより、開催後も競技施設の維持・管理が“負の遺産”として自治体の財政を長期間圧迫する場合が多い。時代は長野の頃と比べてさらに厳しくなっているというのに、あきれるしかない。