津野田興一
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津野田興一都立日比谷高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立日比谷高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

改ざんや偽造を防止 メソポタミア文明が生んだハンコ社会

公開日: 更新日:

 世界最古の文明は、現在のイラクにあるティグリス川とユーフラテス川に挟まれた「メソポタミア」で生まれました。それはどのような特徴があるのでしょうか。

■ブッラとトークン

 では、写真①をご覧ください。メソポタミアの遺跡からしばしば発見される粘土のボールと、その中に入っている粘土の破片のようなものです。いったい何なのでしょうか?

 考古学者の間でも長年謎とされてきましたが、近年新たな仮説が提示されて注目を集めています。粘土のボールはブッラ、破片はトークンと名づけられ、文字に先行するものであったと考えられるようになりました。

 5000年ほど前、メソポタミアではシュメル人が多くの都市国家を建設して文明社会を生み出していました。それを支えたものが文字だったのですが、文字はいきなり誕生したわけではありません。そこには次のようなプロセスがあったと想像されています。

 人と人とが何かを売り買いする際、例えば羊を4頭、牛を2頭、パンを3斤という具合に契約を交わします。でも、それを受け渡すときに、数が違っていたとするとトラブルのもとです。そこで、羊や牛をあらわすトークンをつくり、確かな契約としたのです。それをブッラに入れて契約のパッケージとしました。

 さらにシュメル人は、ブッラの表面にトークンを押し当てて押印しました。これは、表面に押印された物品が契約通りか否かを確かめるための工夫でした。つまり、ブッラの表面に押された押印の数など、契約の品に疑義がある場合にはブッラを壊し、中に入っているトークンを確認したのです。これなら契約の改ざんを防ぐことができます。シュメル人って頭が良いですね。

楔形文字の誕生

 ブッラとトークンは契約を記録するのに優れたアイテムでしたが、持ち運びや保存には不向きです。そこで、トークンの形を粘土板に線で描き写して記録することが始まります。これが絵文字の誕生です(表の中の「古拙文字」)。ちなみにそれぞれ「写実的だな」と感じられると思います。羊は「肛門」の形で表現されています。さすが、自分たちの財産のことをよく見ていますね。

 それがさらにアシのペンで粘土板に刻みを入れて文字をあらわすようになります。これが楔形文字になりました。 

整った階層社会

 メソポタミア南部のバビロニア地方に多くの都市国家を建設したシュメル人は、都市の守護神を祭る神殿「ジッグラト」を建設しました。このジッグラトが、「旧約聖書」に記されるバベルの塔(写真②)のモデルとなったともいわれています。そして、神を祭る儀式をおこなうことで政治を運営する、神権政治が実施されていました。

 写真③は「ウルのスタンダード」と呼ばれる出土品です。スタンダード(旗章)といわれていますが、実際の用途は明らかになっていません。表面には戦争、裏面には平和をテーマとした絵が描かれています。そこには上段左側にウルの王が大きく描かれ、貴族たちと供宴に興じています。下段には貢納をおこなう農民などが見えます。整った階層社会を形成していたことが読み取れるでしょう。

洪水伝説

 ここで「フラッド=タブレット」と呼ばれる粘土板の一部を紹介しましょう〈資料〉。いかがでしょうか? まるで「旧約聖書」に出てくる「ノアの箱舟」の話と同じではないでしょうか。「ノア」が「ジウスドゥラ」となってはいますが、古代メソポタミアの出来事が、のちにヘブライ人に継承されて洪水伝説になったのではないかと考えられています。

〈資料〉シュメル語版「大洪水伝説」
…七日と七晩の間、大洪水が国土で暴れ、巨大な船が洪水の上を漂った後で、ウトゥ神が昇って来て、天と地に光を放った。ジウスドゥラは巨大な船の窓を開いた。(小林登志子著「シュメル―人類最古の文明」中公新書から)

■契約社会

 2020年の日本では「脱ハンコ」社会が目指されていますが、世界最古のハンコ社会はメソポタミアで成立したのです。当初は現代と同じくスタンプ形式だったのですが、やがて円筒印章が考案されます。粘土板の上を転がしながら押印するもので、文字と絵が無限に転写されていきます。

 これは売買などの契約をおこなう際に押されるもので、その意味においてもメソポタミアは契約社会でした。ハンコは身分や個人をあらわすもので、大切なアイテムだったのです。 

円筒印章で封印

 さて、最後にクイズをひとつ出しましょう。写真④は、二重になった粘土板文書です。粘土板文書をさらに別の粘土で包み、その表に中の粘土板と同じ内容の文字が刻まれています。なぜ、このような「二度手間」をしているのでしょうか?

 答えは、文書の改ざんを防ぐためでした。誰かが粘土板に細工して文字を書き換えたとしても、外の粘土板を壊して中を確認すれば、もともとの内容を確認することができます。また、外の粘土板を壊して中の文書を改ざんし、新たな粘土で覆って偽造しようとしても、外の粘土板が円筒印章で封印されているため、それもできないようになっているのです。

 もうお分かりだと思いますが、これはあのブッラとトークンの関係と同じですね。契約書の書式がさらに洗練されたというわけです。

 なりすまし詐欺やインターネット上での改ざんがまかり通っている現代世界の諸問題は、おそらくシュメル人の社会にも存在したのでしょう。しかし、それを解決するような知恵もまた、シュメル人は生み出していたのです。

■もっと知りたいあなたへ

シュメル―人類最古の文明
小林登志子著(中公新書 2005年)940円(税別)

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