津野田興一
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津野田興一都立日比谷高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立日比谷高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

ドルショックとオイルショックの背景にある「2つの戦争」

公開日: 更新日:

 第1次世界大戦後から現在までを現代史と捉えるならば、その大きな分水嶺は、1989年の冷戦終結ではなく、1970年代にあった、と考えるのが近年の歴史学研究の観点です。その際、ドル=ショックとオイル=ショックという「2つのショック」に注目することが重要だと考えられます。そして、「2つのショック」の背景を理解するには、「2つの戦争」を見る必要があるでしょう。

  ◇  ◇  ◇

■ブレトン=ウッズ体制

 1945年に終結した第2次世界大戦は、アメリカ合衆国の経済的地位を大幅に向上させました。当時アメリカは、全世界の金の7割を保有し、同じく全世界の鉱工業生産の6割を1国だけで占めていました。まさしく「世界の工場」であり、「世界の銀行」でもあったのです。

 このようなアメリカ経済の力の源は、1944年のブレトン=ウッズ会議に基づく、ドルを基軸通貨とした自由貿易体制の構築にありました。国際通貨基金と国際復興開発銀行(世界銀行)によるドル融資に支えられ、関税と貿易に関する一般協定(GATT)によって自由貿易を推進するブレトン=ウッズ体制ができあがったのです。そこでは、例えば日本の円との関係で言うと、1ドル=360円という固定相場制が組まれていたのです。

■ベトナム戦争

 このような構造に変化が見え始めるのは1960年代のことでした。アメリカはベトナム戦争において、1965年以後は直接大軍を派遣するようになります。グラフ①からは、アメリカが、最大で50万人もの兵士をベトナムに送っていたことが分かりますね。

 戦争に関連する費用は毎年莫大なものとなり、アメリカの財政に大きな打撃を与え、ドルが固定相場で世界各国の通貨を支える仕組みは不可能となりました。以後世界は変動相場制へと移行していくのです。これをドル=ショックと言います(グラフ②)。

I WANT OUT

 ③の風刺画はニクソン大統領が、金とドルとの交換停止を宣言し、外国の製品に対する10%の輸入課徴金を課すと発表した1971年に発表されたものです。アメリカのシンボルである「アンクル=サム」が、ボロボロの姿で“I WANT OUT”と言っています。「もうやめたい」という意味でしょうか。

 これはベトナム反戦運動を推進する団体によるものですが、当時のアメリカの状況をとてもよく示していると思います。これはまさに、アメリカ「1強」時代の「終わりの始まり」であったと言えるでしょう。

パレスチナ問題

 第2次世界大戦後には、パレスチナを巡る中東戦争が繰り返されてきました。そこでは、アメリカが支援するイスラエルが勝利を重ね、地図④に見られるように、1967年の第3次中東戦争では、イスラエルの大勝利によって領土の拡大と、多くのパレスチナ難民が生まれていました。

 このパレスチナ問題において、一方の当事者であるアラブ諸国は、常に苦々しい思いを抱いていたのです。

第4次中東戦争

 1973年に勃発した第4次中東戦争は、エジプトのサダト大統領がイスラエル軍と互角に近い戦いをしたことで知られていますが、イスラエルと敵対する産油国がいわゆる「石油戦略」を発動させたことにより、オイル=ショックが生じました。

 1960年に石油輸出国機構(OPEC)、68年にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が結成され、欧米系の国際石油資本に握られていた原油価格の決定権を取り戻していきます。グラフ⑤に見られる通り、原油価格はわずか2カ月の間に4倍にも跳ね上がり、極端に安い原油を好きなだけ使い倒すことで利益をあげていた諸国が打撃を受けます。

 ⑥の写真を見て、当時を思い出す年配の方もいるでしょうし、若い方々も、今年のコロナ=ショックの際に、店頭からトイレットペーパーやマスクなどがあっという間に消えてしまったこととつなげて理解してもらえることでしょう。日本ではこの時、「狂乱物価」と呼ばれる物価上昇に見舞われることになりました。

■世界の構造が変化した

 ドル=ショックとオイル=ショックという「2つのショック」により、世界経済の構造が現在と同じような状態へと大きく転換したと言わざるをえません。まずアメリカの地盤沈下がおこり、世界は多極化へと向かいます。そして「オイル=マネー」を手に入れた西アジアの国々が、国際的な経済力と発言力を高めたことも重要です。

 西ヨーロッパ諸国での経済統合の進展も、この状況への対応と考えることができるでしょう。イギリス・アイルランド・デンマークが新たに加盟した拡大EC(ヨーロッパ共同体)は、まさしく1973年に実現しています。

■ジャパン・アズ・ナンバーワン?

 最後に日本の状況を大まかにまとめてみましょう。「2つのショック」での打撃から、日本の回復は早かったと言えるでしょう。

 省資源・省エネルギーへの産業の再編は、資源に乏しい日本にとって必須の改革でした。日本はこれに対して、工場やオフィスにおける自動化・ロボット化を進めて電気製品や自動車など付加価値の高い製品を作ると同時に、人員整理などの合理化を進め、勤勉革命とでも言える労働集約型の働き方をさらに強めました。のちに栄養ドリンクのテレビコマーシャルで、「24時間戦えますか」と絶叫するような(1988年~)社会が形成されていったのです。

 これにより日本は、アメリカをはじめとする先進国が経済の立て直しに苦しむ中、年率3~5%の安定成長を維持し続け、経済大国と言われ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと題された本まで出版(1979年)されるようにもなりました。

 しかし、バブル経済とその崩壊への序曲は始まっていたのです。

■もっと知りたいあなたへ

世界の歴史29 冷戦と経済繁栄
猪木武徳、高橋進著(中公文庫、2010年新書)1905円(税別)

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