バイオリニスト白須今さん 母親が作った「ニンジンの唐揚げ」の思い出
白須今さん(バイオリニスト/36歳)
NHK「列島ニュース」のテーマ曲や「おかあさんといっしょ」のエンディング曲「きんらきらぽん」を演奏するなどバイオリニストとして活躍する白須今さん。俳優として連続テレビ小説「エール」(NHK)や「いだてん~東京オリムピック噺~」(同)への出演歴もある。そんな白須さんの母・寿子さん(65)が作るおふくろメシはニンジンの唐揚げだ。
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ニンジンの唐揚げってあまり聞かない料理ですよね。ウチでは定番だったのですが、知り合いに聞いても「ウチでも食べてた」とは聞いたことがありません。でも、揚げるとニンジンの甘みが強くなって、とてもおいしいんです!
作り方は簡単。ニンジンを拍子木切りにして鶏の唐揚げを作る要領で、衣をつけて揚げるだけ。ニンジン嫌いの子もおいしく食べられると思うので、ぜひ試してください。
なぜ母がニンジンの唐揚げをよく作っていたかというとたぶん食費を安くあげるため。ウチは男3人兄弟だったので、鶏肉の唐揚げだけで僕ら兄弟の胃袋を満たすのは大変だったのだと思います。
僕らは子供の時、3人ともサッカーをやっていたので、食べ盛りだった頃の食事量はすごかったんですよ。食卓の真ん中にドンと置いた大皿にのせられた料理を、兄弟で競うように食べていましたね。お米は毎日5合は炊いていました。ウチはあまり裕福ではなかった、という事情もありました。クラシックの演奏家としては珍しいかもしれませんね。
■父の会社が倒産、離婚
僕が小学校2年生の時、父の経営していた会社が倒産し、両親は離婚。母は僕ら3兄弟を連れて小さなマンションに引っ越し、女手一つで育ててくれました。平日は知り合いの会計事務所の事務、休日は宅配便の配達をして働いて。18時まで働いて19時に帰宅し、それから料理を作って食べさせてくれたのですが、子供はお腹が減ってその時間まで待てません。僕らは学校帰りにパン屋さんに行き、パンの耳をもらっておやつ代わりに食べたり、ウチにあるかつお節にマヨネーズをかけて食べたりしていました。大きくなると、焼きそばなど簡単な料理を作ったりもしていましたね。でも暗い家庭ではなく、母は明るく元気でポジティブで、グチや泣き言を聞いたことはありません。
母いわく「スピード勝負で凝った料理を作る時間はなかった」そうですが、まめに作ってくれていました。仕事で帰りが遅くなる時は、温めて食べられるようにカレーやポトフを作っておいてくれましたし、高校はお弁当持参だったので、朝から鶏肉とピーマンの甘辛炒めなどの料理を作って詰めてくれました。
ただ、ある料理にハマると、そればかりが続くクセがあって(笑)。レバーの甘辛炒めは「体にいい」とテレビで見ていいと知って、毎日のように作った時期があって……、僕、レバーは苦手なのに。母は「好き嫌いせずに食べなさい!」と厳しくて。でも、何でも食べたおかげか、母は153センチと小柄なのに、僕は180センチと大きく成長しました。
「人の心に花を咲かせるようなバイオリニストになってほしい」
3兄弟でバイオリンをやっていたのは僕だけ。母がクラシック音楽に憧れがあり、僕に2歳からバイオリンを習わせたのです。両親の離婚などで生活が厳しくなった時は「バイオリンをやめてもいいか」と聞かれましたが、僕は大好きだったので「続けたい」と。だから、いい加減にやっていたらやめさせられるという気持ちはどこかにあったと思います。夕食後、毎日3時間は必ず練習していました。
小さい頃は母も練習についててくれていました。でも、あまりに厳しいので一度「じゃあ、お母さんが弾いてみてよ!」と泣いて反抗したら、母も泣いてしまったことがありました。小学校5年生の時にあるコンクールで最優秀賞をとり、周囲から期待されていたので、母もプレッシャーがあったのでしょうね。
「人の心に花を咲かせるようなバイオリニストになってほしい」とよく言われていました。母の教え通りにできているかはわかりませんが、今、僕のコンサートにとても喜んで来てくれるので、良かったなと思っています。
(聞き手=中野裕子)
▽白須今(しらす・こん) 1985年6月、神戸市生まれ。2歳でバイオリンを始め、国立音楽大学演奏学科在学中の2006年、大学同期と「Shikinami」結成。ソロでも演奏家、作曲家として活躍中。