「YouTubeで何かやりたいな」…友人との何気ない会話が「キズナアイ」のデビューに結びついた舞台裏
チャンネル開設で登録者数急増。100万人到達スピードは実質1位
──和賀さんは秋田県羽後町出身で、大坂さんと同郷の秋田の生まれですね。
和賀:僕はゲーム会社系の交流会で大坂さんに出会い、後でFacebookを見たら同じ秋田の人だとわかってうれしかったんですよ。一緒に飲みに行ったら、秋田の中でも県南同士ということで、地元の話題で激しく盛り上がったのです。しかも、大坂さんも僕も剣道をやっていて、学生時代にニアミスしていたことまでわかり、意気投合しました。
そこでキズナアイの構想を見せられました。これは面白そうだと思って、あれこれアイディアを話したら、後日共同プロデューサーの松田さんを交えてもう一度会おうという流れになりました。そこからはトントン拍子でご一緒させていただくことになりました。
僕は、キズナアイのクリエイティブな部分の仕事を手掛けました。最初は放送作家のポジションで動画のネタを考えたり、台本を作っていましたが、気づいたらクリエイティブ全般、企画や監修、音楽関連に携わらせていただきました。
──2016年12月にキズナアイがYouTubeチャンネルを開設すると、直後から急激に登録者数が増えていったそうですが、そのときはどんな気持ちでしたか。
大坂:登録者数が増える勢いが凄くて、意味が分からなかったんですよね。まるで他人事というか。当時のYouTuberで、100万人登録に到達したスピードはキズナアイが実質的に史上1位だったんですよ。
和賀:1カ月で10万人というペースで増えたりしましたからね。「登録者数50万人ありがとう」というツイートから、1カ月も経たない間に60万人になるとか、とんでもないスピードでした。
100万人登録を達成したのは2017年12月のことで、その翌年の2018年に“バーチャルYouTuber”という言葉がSNSでバズり、一般層にも広く知られるようになり、一気に裾野が広がったと思います。
■2017年3月、最初の案件で議論になったのは「キャラ設定をどこまで壊していいのか?」
──ファン層はどのように広がっていったのですか。
大坂:2017年まではチャンネル登録者の95%以上が外国人で、日本人にはあまり気づかれていなかったんです。Abemaでは2017年の5~6月に取り上げられていて、感度が高い方は早くから注目してくださっていたようですが、認知度が上がったのは輝夜月などのいわゆる“バーチャルYouTuber四天王”が出そろった2017年末の頃だと思います。
──海外での認知度の方が高いとなると、国内の企業案件などを受けるのは大変ですよね。
和賀:実際、日本であまり知られていなかった頃は、案件を受けるには苦労が多かったですね。早い段階でゲームの案件をやっているのですが、クライアントが求める登録者数や課金はなかなか伸びませんでした。
大坂:初めてキズナアイが案件を受けたのは、2017年の3月のことです。そこから地道に実績を重ねていった感じです。
そのなかで議論になったのは、“キャラ設定をどこまで壊していいのか”という点でした。僕には、ビジネスの都合に合わせて適宜変えてしまってもいいのでは、という考えがあったのです。キズナアイは物を食べられないけれど、案件の内容次第では、「食べる表現」をしたっていいじゃんと(笑)。
和賀:そこはもう喧々諤々の議論をしましたし、当時の営業担当は僕からキツい言葉を浴びせられて、大変だったんじゃないかな。大坂さんとも遠慮なくぶつかり合いながら、話し合いをしていたことを覚えています。(=後編に続く)
(取材・文=山内貴範)

















