亡くなった明治乳業社員の妻が中山悠会長に宛てた手紙に書かれていたこと
2009年に明治製菓と明治乳業が統合した明治ホールディングスが、健康意識が高まってヨーグルト類の売り上げを伸ばしていると知って、2004年春に明治乳業会長の中山悠への手紙という形でコラムを書いたことを思い出した。私は同年3月10日に、明治乳業争議団、雪印食品一般労働組合、ネッスル日本労働組合の食品3争議団の勝利を呼ぶ集会で講演したのだが、驚いたのは、あの雪印乳業の事件から、雪印の経営者はもちろん、明治乳業の経営者も何も学んでいないことだった。
明治乳業では当時、30年以上も前から、労働者を赤組、白組、そして雑草組と分断して管理し、差別的な支配を続けていた。それが職場の3人に2人までもが「品質管理に疑問や不安をもって働いている」というアンケート結果となって表れた。
ここに、ガンで亡くなった争議団員のKの夫人が中山に宛てて書いた手紙の写しがある。
Kは労働組合活動を理由とした賃金・昇格差別の是正を求めて東京都労働委員会へ申し立てて闘ってきたが急逝した。そのKがいかに明治乳業を愛していたかを、夫人は次のように訴える。