りらいぶ 佐々木貴史社長(1)20歳が起業家としての原点
「将棋とコンピューターのプログラミングは思考方法が似ている」と佐々木氏は言う。その技術も将棋同様、独学で学び、2年後には「情報処理2種」の国家資格を取得するまでになる。この資格をひっさげ、池袋のコンピューター会社に就職。先行きの見えない生活からようやく脱却できることになった。
コンピューター会社ですぐに佐々木氏は頼られる存在になる。勉強もさらに続け、1種資格も取得した。そうすると、ますます仕事が増えていく。コンピューターなら病弱でも仕事ができると考えていたが、実際にはコンピューターによって健康が蝕まれていった。
やむなく佐々木氏は1986年、25歳の時に実家のある仙台に帰郷した。
「幸いだったのは、元の会社が下請けとして使ってくれたこと」
こうして独立した佐々木氏だが、その後、徐々に仕事が増えたため、88年に社員を雇って有限会社を設立した。起業のスタートだった。 (つづく)
■関連記事
-
語り部の経営者たち クリーク・アンド・リバー社 井川幸広会長(7)出資ベンチャー元日野自動車会長の下義生氏が采配を振るうワケ
-
語り部の経営者たち クリーク・アンド・リバー社 井川幸広会長(6)事業は「ロマンと算盤」のバランス 消滅危機のサガン鳥栖の再生へ
-
語り部の経営者たち クリーク・アンド・リバー社 井川幸広会長(4)フリーランスの権利とギャラを守るために90年に29歳で創業
-
クルマは乗らなきゃ語れない ポルシェ911初のハイブリッド 新型GTSは電動エコ化にあらず、規格外のドリフトマシン化だった!
-
経済ニュースの核心 アパレル世界2位のH&Mを猛追! 絶好調ファーストリテイリング・柳井正会長の“後継者選び”で注目の動きが