著者のコラム一覧
小林雅英元プロ野球投手

1974年5月24日、山梨県大月市生まれ。都留高、日体大、東京ガスから、98年ドラフトでロッテを逆指名し1位入団。2001年から07年まで7年連続20セーブを達成。05年は最多セーブ(29)に輝き、チームの31年ぶりVに貢献した。08、09年はMLBのインディアンスに在籍。その後は巨人、オリックスを経て11年限りで引退。オリックス、ロッテでコーチを歴任し、昨年は女子プロ野球リーグのコーチも務めた。日米通算530試合で40勝39敗、234セーブ、防御率3・14。

ロッテの2005年完全制覇 すべては前年の4位から始まった

公開日: 更新日:

 だからこそ、「なぜ自分たちがそこにいないのか」と、悔しくてたまらなかった。0・5ゲーム差ということは、3位日ハムにあと1勝してさえいれば、あそこで戦っているのは自分たちだったんです。僕はこの時ほど、「あの1敗がなければ、あの1球がなければ……」と歯ぎしりしたことはありません。

 この思いは僕だけでなく、他のナインも同じでした。ある選手は「日ハム戦でもう1本、もう1本打っていれば」と嘆き、別の選手は「オレがあの試合でエラーさえしなければ」と、後悔していました。そんな悔しさがあったからこそ、ボビーの選手起用に誰も文句を言わず、個人成績よりもチームの勝利を目指して一丸になれた。すべては04年に0・5ゲーム差の4位だったことから始まっていたんです。

 ちなみに05年はレギュラーシーズン1位がソフトバンク、2位がロッテ。その差は4・5ゲームでした。04、05年のプレーオフは1位チームと第1ステージの勝者のゲーム差が5以上あった場合、前者にアドバンテージの1勝が与えられることになっていました。それが4・5差なのでなし。ソフトバンクとは3勝2敗と大接戦だったので、シーズンで5ゲーム差以上開いていたらやられていたかもしれない。前年0・5差に泣かされた僕らが、今度は同じゲーム差のおかげで勝利を勝ち取ったのです。

 もし、ソフトバンクにアドバンテージを許していたら……3戦目にセーブを失敗した僕が戦犯と言われていたかもしれません。

 次回は僕がボビーに唯一、「ムカッ」ときた話になります。  =つづく

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    【広陵OB】今秋ドラフト候補が女子中学生への性犯罪容疑で逮捕…プロ、アマ球界への小さくない波紋

  2. 2

    海星・陣内優翔は長崎県初の“完全男”だが…スカウトが「上位獲得」を渋るワケ

  3. 3

    NHK「昭和16年夏の敗戦」は見ごたえあり 今年は戦争特別番組が盛りだくさん

  4. 4

    二階堂ふみ&カズレーザー電撃婚で浮上したナゾ…「翔んで埼玉」と屈指の進学校・熊谷高校の関係は?

  5. 5

    自死した元兵庫県議の妻がN党・立花孝志党首を「名誉毀損」の疑いで刑事告訴…今後予想される厳しい捜査の行方

  1. 6

    永野芽郁が“濡れ場あり”韓流ドラマで「セクシー派女優転身、世界デビュー」の仰天情報

  2. 7

    突然のがん宣告にも動揺なし「で、ステージはナンボでしょうか?」

  3. 8

    長崎を熱狂させた海星・酒井圭一さんが当時を語る…プロ引退後はスカウトとして大谷翔平を担当

  4. 9

    安藤サクラ「柄本佑が初めて交際した人」に驚きの声…“遊び人の父”奥田瑛二を持つ娘の苦悩

  5. 10

    平和記念式典での石破首相スピーチの評判がすこぶるいいが…原稿を下書きしたのはAIだった?