バスケ男子W杯快進撃の立役者 司令塔・河村勇輝の父が語る「非強制」の育て方

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親族、先生が反対した進路

 ──その後の取り組みは。

「親として身近に見てきたからこそ驚いたのですが、本当に毎日、夜遅くまで庭で練習していました。本人が自分で『シュートを連続で〇本成功させるまで』とメニューを組み、それに妥協することがありませんでした。達成するまで何時間でもやり続ける。

『もうやめたら?』と口を出してしまったこともありましたが、『いや、決めたことだから』と。土砂降りの雨の日に一緒に練習したのはいい思い出です。そうして寝る前はテレビのある私の書斎に来て、一緒にNBAなどプロの試合を観ながら眠りにつく。小学2年から6年生まで、寝落ちした勇輝を抱きかかえて子供部屋まで運ぶのが日課でした(笑)」

 ──小学生時代に全国制覇、中学時代は全国ベスト16。同時に、中学時代の学校の成績がすこぶる良く、地元の進学校に進むはずだったと聞く。バスケの名門・福岡第一高を選んだ理由は。

「もともと勇輝は本気でバスケに取り組むのも中学生までと決めていて、ゆくゆくは教師になるのが夢でした。そんな時に福岡第一高の井手口孝監督が『一緒に日本一を目指そう』と声をかけてくださり、心が動いたみたいです。親族や学校の先生たちは反対していましたね(笑)。

 たしかに、中学では通用したかもしれませんが、高校になれば周りとの身長差も大きくなる。メガホンを持って応援するだけで3年間を終えてしまうかもしれない。ケガでもすれば、これまで積み重ねたものを棒に振ってしまう。リスクは大きいです。そのことを本人に尋ねると、『それでも行きたい』と。だから『進学後に愚痴は絶対言ったらダメだよ』と伝えると、『はい』と。固い意志があって何かをしたいと言うのなら、子供だろうと1人の人格として尊重するべきです」

 ──昨年、名門・東海大を中退して横浜ビー・コルセアーズとプロ契約を結んだ。

「本人がリスクを背負う覚悟があればそれで十分ですよ。安全な道ではないし、失敗したら世間の評価も様々でしょう。それでもやりたいことがあれば悔いのないように取り組んでほしい。私自身もそういう思いで進路を選んできたから、より一層そう思えるのかもしれません」

 ──いまではどのように関わっているのか。

「教員を退職してからは勇輝のマネジメントというか、手伝いをしています。W杯中はオーストラリア戦まで現地・沖縄で応援していましたが、特別な声掛けやアドバイスすることはありません。見守るだけです。本当は電話したいと思いましたが、勇輝は練習で忙しいだろうから、メッセージだけに留めました。お陰様で勇輝のプレーが注目を集めていますが、そこまで多くの方に支えられてきたことを忘れないでやってほしいですね」

(聞き手=杉田帆崇/日刊ゲンダイ

河村勇輝(かわむら・ゆうき) 2001年5月2日、山口県生まれ。小学2年でバスケを始め、福岡第一高時代にウインターカップ2連覇。東海大に進み、1年時から特別指定選手としてB1横浜BCでプレー。22年春に東海大を中退し、横浜BCとプロ契約。司令塔として22ー23年のBリーグMNP、ベストファイブ、新人賞を獲得した。

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