著者のコラム一覧
今岡真訪元プロ野球選手

1974年9月11日、兵庫県生まれ。PL学園高から東洋大に進学し、4年時にアトランタ五輪銀。96年ドラフト1位で阪神入り。2003年に首位打者、05年に球団記録の147打点で打点王。10年にロッテに移籍して12年に引退。通算1284安打、122本塁打、594打点、打率・279。引退後は阪神二軍野手総合コーチ、ロッテ二軍監督、一軍ヘッドコーチを歴任し、6年ぶりに阪神に復帰した23年から一軍打撃コーチを務め、同年のリーグ優勝、日本一に貢献。昨季限りで退団した。

PL学園 堅守の裏に名ノッカーあり…河野有道コーチはとにかく寡黙。無言がかえって怖かった

公開日: 更新日:

「腕は振るのではない。投げる方向に腕を伸ばすようなイメージで投げると、伸びるボールがいくし、方向も安定する。より正確なスローイングができるようになる」

 中村監督の指導はいつも具体的だった。

「まずは守りから」というPL学園の方針のもと、中村監督の後に監督に就任することになる河野有道コーチ(当時)に守備面を鍛えられた。

 直接的な指導は中村監督だったが、河野コーチはノックのスペシャリスト。狙った所に打つことができた。1歩目が速ければ捕れる所、横っ跳びすれば、数十センチ先を抜けるような、捕れるか捕れないかギリギリの所に打つのは当たり前。スライスやドライブする外野への飛球も自在に打てた。普通、ノッカーは「もっといけー」とか「捕れるやろー」とか声をかけながら打つものだが、河野コーチはとにかく寡黙。たまに笑みを浮かべることはあっても、ほぼ無言で、これがかえって怖かった。PL学園の守備力の高さの裏に名ノッカーの存在があった。

 河野コーチは1980年からコーチとして中村監督を支え、98年に監督に就任。同年センバツ4強を最後に勇退した中村監督からチームを引き継ぐと、同年夏は甲子園8強。準々決勝では、エース松坂大輔西武)を擁した横浜(神奈川)と延長十七回の熱闘を繰り広げた。2001年に部内で暴力事件が起こり、河野監督が退任。半年間の対外試合禁止処分を下された後、代わってPL学園の監督に就任したのが、当時27歳という若さの僕の同級生だった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    佐々木朗希「スライダー頼み」に限界迫る…ドジャースが見込んだフォークと速球は使い物にならず

  2. 2

    永野芽郁「キャスター」視聴率2ケタ陥落危機、炎上はTBSへ飛び火…韓国人俳優も主演もとんだトバッチリ

  3. 3

    「たばこ吸ってもいいですか」…新規大会主催者・前澤友作氏に問い合わせて一喝された国内男子ツアーの時代錯誤

  4. 4

    風そよぐ三浦半島 海辺散歩で「釣る」「食べる」「買う」

  5. 5

    広島・大瀬良は仰天「教えていいって言ってない!」…巨人・戸郷との“球種交換”まさかの顛末

  1. 6

    広島新井監督を悩ます小園海斗のジレンマ…打撃がいいから外せない。でも守るところがない

  2. 7

    インドの高校生3人組が電気不要の冷蔵庫を発明! 世界的な環境賞受賞の快挙

  3. 8

    令和ロマンくるまは契約解除、ダウンタウンは配信開始…吉本興業の“二枚舌”に批判殺到

  4. 9

    “マジシャン”佐々木朗希がド軍ナインから見放される日…「自己チュー」再発には要注意

  5. 10

    永野芽郁「二股不倫」報道でも活動自粛&会見なし“強行突破”作戦の行方…カギを握るのは外資企業か