長崎を熱狂させた海星・酒井圭一さんが当時を語る…プロ引退後はスカウトとして大谷翔平を担当
ヤクルト1位指名
11月19日のドラフト会議。一番くじをひいたヤクルトから1位指名を受けた。今なら学校中で大騒ぎだが、海星はカトリック校のため、一部関係者からは「ドラフトは人身売買」と批判的な声もあり、校内ではお祝いの垂れ幕などは一切なかった。
ヤクルトの松園尚巳オーナー(当時)が長崎出身だったこともあり、「オーナー指令」と言われた。
「今でもキャンプ前に合同自主トレを行っていますが、私は学校の意向もあり、参加させてもらえませんでした。そこでヤクルトから、当時の寮長だった小川(善治)さんが来てくれたのです。プロは高校のグラウンドは使えませんから、学校近くの公園で走り込みなどの基礎トレーニングをやっていた。オープン戦は風邪で登板できず、デビュー戦は(77年)4月21日、神宮での大洋戦でした」
酒井は6回7安打2失点の好投でマウンドを降りた(勝敗つかず)。予告先発で約2万2200人の大観衆がスタンドを埋めた。
酒井は当初、後楽園での巨人戦でデビューする予定だった。が、酒井の1位指名を厳命したと言われる松園尚巳オーナーが、ホームゲームに変更させたともっぱらだった。
「その頃の大洋戦はお客さんがまばらでしたから、ビックリしましたね」
現役引退後、打撃投手を経て、スカウトに就任。数多くの選手を発掘した。花巻東高の大谷翔平は獲得には至らなかったものの、酒井氏が担当した選手のひとりだ。
「投手と打者の二刀流の話がありましたが、私は打者の方が魅力を感じていたし、長く続けられるので打者一本でいくべきだと思っていましたが、まさかここまでの選手になるとは想像できませんでした」
▽酒井圭一(さかい・けいいち) 1958年6月長崎県壱岐市出身。76年海星3年時の夏の県大会は圧倒的な強さで勝ち抜き、甲子園4強入り。「サッシー」旋風を巻き起こし、同年ドラフト1位でヤクルト入団。90年現役引退。打撃投手やスカウトを歴任。通算成績215試合、351回、6勝12敗、181奪三振、防御率5.08。185センチ、88キロ。