教え子の元巨人・川中基嗣の実家は太かった。あんなプロ入りパーティーは彼くらいだろう
しばらく走っているうちに、ふと、一台の車がバスの後を付いてくるのに気付いた。イギリスの高級車だった。
卒業後、日本通運を経て、97年のドラフト2位で巨人に入団した川中基嗣の父親が、試合を見るために自家用車を走らせていたのだ。
川中は京都出身。父親は不動産業を営んでいたと聞いた。関西遠征に限らず、神宮球場で行われるリーグ戦も、母親と一緒に京都から自家用車を運転して見に来た。泊まりは都内高級ホテルのスイートルームだったそうだ。
日本通運時代に、都市対抗で首位打者と準MVPに相当する久慈賞を獲得。その活躍をテレビで見ていた当時の長嶋監督が一目ぼれ、巨人に逆指名入団した。
川中のプロ入りが決まった97年の暮れ、京都で盛大なプロ入りのパーティーが行われた。京都政財界の重鎮が何人も参加していた。わたしも招待され、南禅寺付近の高級ホテルに一泊したが、OBでこれだけ大掛かりなプロ入りのパーティーをやったのはおそらく川中くらいではないか。
川中が東山高3年のときのことだ。わたしは東洋大姫路の遊撃手を見るため関西に出掛けた。阪神のスカウトにその旨を告げると、東山高に良い遊撃手がいるという。「プロではきついが、面白いと思う」と。東山高に東洋大OBがいたので、そのつてで声を掛け、東洋大の練習を見に来ることになった。