清原和博さんの「思わぬ一言」で鼻の奥がジーン、泣きそうに。チーム内では“番長”とは別人だった
「仁志敏久の真実」(第8回=2010年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回はあの清原和博について触れられた、「仁志敏久の真実」(第8回=2010年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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97年の巨人は春のキャンプ前から、ひとりの選手が話題を独占した。
西武からFA移籍してきた清原和博(現野球評論家)である。「(ユニホームの)タテジマをヨコジマに変えてでも」と口説いた阪神との争奪戦の末、「ボクの胸に飛び込んできて欲しい」との長嶋監督の言葉が決め手になって獲得した超大物選手。争奪戦の推移をマスコミ報道で知るしかなかった巨人ナインも、清原の動向をかたずを飲んで見守っていた。入団2年目を迎えた仁志もそのひとりだった。
「春のキャンプ直前、球団のイベントで初めて顔を合わせて、抱いていたイメージが吹っ飛んだ。みんな『どういう人なのかな』『おっかないのかな』と構えていたところがあったけど、清原さんの方から挨拶にきていただいて、『よろしくな』と右手を差し出してくれた。その笑顔からは、後に言われる『番長』とか『兄貴』といったコワモテのイメージはまったくなくて、『お兄ちゃん』という感じ。一発で魅力に引かれました」