ゴジラ松井との本塁打王争いのうれしい悩み…スポーツ紙の中身が気になりすぎて毎朝4時には目が覚めた
好調をキープしていた1996年、本塁打のタイトルを意識するようになったのは、球宴明けの8月に入ってからだった。
同僚の大豊泰昭さんが春先からキングを独走。俺は前年、16本塁打だったこともあり、「今年は背番号(22)くらい打てたらいいかな」というくらいの意識しかなかった。
それまでタイトルとは無縁だったし、あまりにも現実味がなかった。後半戦になって巨人の松井秀喜がガガガ~ッと追い上げてきてトップに浮上し、俺は2番手、3番手で大豊さんと松井にくっついている感じだった。
スマホもない時代、ライバルの成績は翌朝のスポーツ新聞か、テレビのスポーツニュースでチェックしていた。自宅に届く中日スポーツを待ち構えるように朝4時すぎには起床。というか、新聞の中身が気になって、目が覚めるのだ。
真っ先に目を通したのが打撃30傑。
「〇〇が打ったかあ」
などとつぶやきながら、ボンヤリと数字を眺める。ひたすら1時間ぐらい見て、朝ごはんを食べて、うたた寝する毎日。