球団代表の温情がうれしかった1997年オフの契約更改…ドーム移転で成績下落、チームは最下位に沈んだ
1997年、中日はナゴヤ球場からナゴヤドームの本拠地移転で苦戦を強いられた。結局、チームの調子は上向かないまま最下位でシーズン終了。星野監督も大荒れで、新しくできたばかりのナゴヤドームの選手食堂で、窓ガラスを蹴飛ばし、割ったこともあった。
中日のチーム打率は.278から.243に下がり、本塁打数は179本から115本と激減。俺自身も本塁打19本で、本塁打王を取った前年の39本から20本も減らした。
全然活躍できなかったのは誰が見ても明らか。当然、オフの契約更改では「ダウン」を提示された。大島宏彦球団代表との1回目の交渉の席で、俺はハッキリとこう言った。
「全然活躍できなかったのは分かっています。言われた通りにサインしますので、金額は好きにしてください」
すると、球団代表はこう答えた。
「それだけ潔い気持ちがあるのか。来年に対する山﨑くんのその気持ちがうれしいよ。本当はここまで下げようと思っていたけど、期待値を込めて少し考慮した査定にしよう」


















