「おまえもついて来い」星野監督は左手首骨折の俺を日本シリーズに同行させてくれた
リーグ優勝はともかく、日本シリーズには出場していない。まったく貢献できなかったから、妻に「一応、連れて行ってくれるみたいだけど、どうする? 俺は(行かなくて)いいかな……」と言ったら、「私も行かない」。それで辞退することに決めた。その代わり、家族でハワイに行くことに。長男、妻、お腹の中には生まれる前の娘もいた。
一方、骨折した左手首は重傷で、オフはまったく練習にならなかった。翌春のキャンプでも違和感が残った状態。ただ、痛みから逃れるために右方向にばかり打っていたら、いつの間にか苦手だった右打ちのコツを掴むことができた。
そして、オープン戦で「事件」が起こる。宇都宮での巨人との試合。球場に着いて自分のカバンを開けて青ざめた。
スパイクがない……。
「うわ、ねえわ。やっちゃった……。誰か裏方さんのスパイクを借りようか。どうしよう」
そんなことを考えていると、すぐに自分のバッティング練習の順番が回ってきてしまった。当時は人工芝の球場の場合、守備用とバッティング用でシューズを履き替えていた。中日はアシックスのエナメル素材で、守備用は靴底にイボイボのついたアップシューズを履いていた。


















