査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった
00年オフに「全然打ってねえ」と言われた頃から「球団は自分を本当に必要としているのか」という疑問が頭をよぎるようになった。
決定打となったのは、翌01年に国内FA権を取得した際だった。5月に権利を得た俺は、球宴明けに中日との残留交渉に臨んだ。いわゆる下交渉である。場所は横浜遠征中の宿舎、シェラトンホテル。当時の編成本部長で、交渉を担当していた児玉光雄さん(故人)の部屋に呼ばれた。
「本当にチーム内で必要とされているのか」という不安と居心地の悪さから、「これは何か変えなきゃいかんな」とボンヤリ考えていた。そんな気持ちもあって、すぐに「残留」と言い切れない自分がいた。そんなモヤモヤした状態で交渉の席につくと、児玉さんは信じられないひと言を放った。



















