「監督を監督とも思わなかった」 “にっちもさっちもいかない奴”に反発し、干された二軍時代
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜日掲載)
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立教大を中退して社会人の三協精機に入社してすぐの1963年7月、阪急ブレーブスの本拠地・西宮球場。
「真夏の暑い日に、試合前にバッティング練習に参加して見てもらって、契約が決まった。バルボンがいたのを覚えている」
8月1日に正式に選手契約を結ぶ。契約金は490万。年俸は100万円程度だった。
「当時新卒の初任給が高卒で1万2千、大卒が2万ぐらいだったかな」
阪急はこの年から立大の大先輩・西本幸雄が指揮官に就任している。
「後輩だからといって目をかけてもらったことはないよ。そんな人じゃなかった。西本さんに限らず、昔の監督と選手との間には垣根があった。今のドジャースのロバーツ監督と選手のようなフレンドリーな間柄じゃなかったからね」


















