「〇か×か」西本幸雄監督が起こした信任投票事件の内幕とその顛末
結果的にこの監督信任投票事件は、不満分子を一掃し、チームの結束を固めることになった。
1966年10月24日から始まった秋季練習の最終日、西本は、この年ドラフト2位で入団し、一軍で18試合に出場していた内野手・斉藤喜を呼び、声をかけた。
「もっとやる気があるなら、シーズンオフも練習を続けてみないか。俺も一緒に付き合うから」
斉藤は習志野高校で谷沢健一(のちに早大-中日)と三、四番を打ち、将来を嘱望されていた。西本の提案に応え、オフに帰郷する予定を取り止めた斉藤。翌日から室内練習場でマンツーマンの打撃練習が続く。いわゆる「西本道場」の始まりである。
オフの特訓を知った森本は、「自分も練習がしたい」と西本に直訴した。西本道場の二番弟子は、「押しかけ弟子」だった。
「あれほど自主的に練習したのは大学1年の秋から2年の春以来。とにかく体力、筋力をつけようと必死だった。ダンベルを使ってウエイトトレーニング、腹筋・背筋、腕立て伏せ。左右打ちにも挑戦したよ」


















