「過度の打撃練習は守備にマイナスになる」 本屋敷錦吾の提言は西本監督の不興を買った
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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上田利治が阪急新監督に就任した1973年シーズン終了後、72年からコーチに就任し、次期監督候補の一人だった本屋敷錦吾が退団した。本屋敷の思い出を森本が語る。
「錦吾さんは大学の先輩だったし、いいなと思っていたよ。あの人はそんなに世渡りの上手い人ではなかったみたいで、結局監督にはなれなかった。コーチに就任したとき、高知キャンプで俺や大熊忠義、住友平あたりを飲みに連れてもらったことがあった。そのときに、ああ何かあるんだな、と思った。俺たちには気を遣ってくれていたよ。やっぱり次期監督を意識していたんじゃないかな」
本屋敷はいわゆる「イエスマン」タイプのコーチではなかった。西本幸雄監督の「ピッチングマシン(旧式)の球を何時間も打ち続ける」「重いマスコットバットで打ち続ける」練習方法に懐疑的だった。


















