ガラガラのスタンドがもたらした日本S惨敗 「うちもお客さんをいっぱい集めて試合をやらにゃいかん」
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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1972年6月13日、「小倉球場・暴徒襲来事件」から1カ月後、7月20日に前半戦が終了。森本の成績は.295、ホームラン15本、打点50で、オールスターゲームに監督推薦で選出される。オールスターには2度目の出場。
「確か江夏の9連続三振のときじゃなかったかな?」と森本は言うが、これは記憶違いで、9連続三振は前年のオールスターだった。しかし、7月25日の第1戦に先発した江夏は、前年からの連続三振記録をさらに伸ばす。一番・長池徳士(阪急)、二番・阪本敏三(東映)を三振に取ったが、三番・野村克也(南海)が外野フライで記録は途絶えた。
森本はこの試合、5番打者で江夏と対戦している。
「同じ速球投手でも、村田兆治のようなズドンと来る球とは違って、江夏の球はスピンが効いた球だったかな。全く打てなかった」
パ・リーグでは速球派投手も鈴木啓示などの左腕投手も得意としていた森本だが、初対戦の江夏には完敗だった。
これが影響したわけではないが、シーズン後半戦からは調子を落としている。しかし、開幕から独走状態だった阪急は、後半戦に入っても追い上げるチームもなく、2年連続でシーズン80勝をマークし、連覇を達成した。
日本シリーズは、2年連続5度目の巨人との対戦。前年の敗戦から内野陣を強化し、チーム改革を図って挑んだが、この年は外野守備にミスが多く出た。ペナントレースで圧勝したような展開にはならず、前年と同じく1勝したのみで敗退する。巨人の鉄壁の守備と試合巧者ぶりの前には無力だった。
「シリーズのような試合に、より力が出せなかったということ。うちもお客さんをいっぱい集めて野球をやらにゃいかん」
試合後の西本幸雄監督のコメントが空しく響いた。
ペナントレースでは連日大観衆の前で試合する巨人と、ガラガラのスタンドの阪急。当時は観客数が実数発表ではなく、日本シリーズ以外は水増しの入場者数が公式発表されていた。実際は数百人、数十人の入りでも、公式発表では2000人となっていたという。
「今はオリックスでも何万人と客が入っているけど、俺が阪急にいた頃はガラガラだった。観客動員に寄与したなどと微塵も思ったこともない。今の選手は『ファンのために』『ファンに感謝』と言っているが、我々の頃はファンに感謝なんて意識があるわけない。ファンサービスなんか自主的にやったこともなかった。球場の前でサインを出待ちしているファンもいたけど、いつも避けて裏口から逃げていたよ」
パ・リーグが「どん底時代」だった頃の悲哀が漂う話だ。ついに観客動員対策として、翌73年から、パ・リーグは前・後期制を導入する。前・後期の2シーズン制にすることで、短期間であるため順位争いも激しくなり、白熱したゲームをファンにアピールできることと、多くのチームに優勝の可能性を持たせることだった。
導入前年の72年、阪急は2位に14ゲーム差をつけて独走優勝し、シーズンの大半を実質消化試合にしてしまった。どうやら前・後期制導入の背景には「阪急が強すぎて客が入らない」こともあったようだ。
(中村素至/ノンフィクションライター)



















