「山にこもって木を伐採したり、草を刈ったり」 謹慎中の林業生活を報じたメディアは皆無だった
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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1973年9月24日、「無期限自宅謹慎」を言い渡された後、森本は一体どうしていたのか。
「俺の知り合いが滋賀県の大津で林業をしている人を紹介してくれた。そこで1ヶ月以上、木を伐採したり、草を刈ったりしていたんだ。気が紛れて楽しかった。今となってはいい思い出だよ。その人ももう亡くなっちゃったけどね。自宅謹慎といっても家にいても何もすることがないしね。練習もできないし。別に監視されているわけじゃないから、好きなことだってできたんだけど、あのときは真面目に考えてね」
誰かに勧められたことでも命じられたことでもなかった。造反事件について「後悔はしていない」と語る森本が考えついた、この事件に対する自分なりのけじめであり、反省だったのではないか。しかし、森本と連絡の取れない新聞・雑誌は「雲隠れ中」と面白おかしく書いただけだった。


















