「誰かのために」で重圧が消えた…東日本大震災直後の開幕戦で感じた心境の変化
東日本大震災に見舞われた2011年は揺れに怯える日々が続いた。
震災以来、初めて仙台に帰った日の4月7日も大きな余震(最大震度6強)が発生。12日の開幕戦でも試合中に地震があった(最大震度6弱)。
楽天はKスタ(現楽天モバイル最強パーク宮城)が修復工事中で使えないため、千葉のQVCマリンフィールド(現ZOZOマリンスタジアム)で開幕を迎えていた。原発事故による節電要請でデーゲームでの開催。午後1時にプレーボールがかかった。
試合開始から1時間後の2時7分。球場が揺れた。俺たちのいた千葉は震度3。四回裏、ロッテの攻撃中で、1点を先制された直後だった。地震の瞬間はサブローが打席に立っていたが、揺れを感じると、マスクをかぶっていた嶋(基宏)が手を前に出して「ストップ」「落ち着いて」のジェスチャー。マスクを取って、マウンドにいる先発の岩隈(久志)のもとへ向かった。
球場内には地震発生のアナウンスと共に、ビジョンに「只今地震が発生致しました」の文字が大きく映し出された。試合は約2分間の中断ののちに再開。あとから横浜スタジアム(横浜×中日)でも同じ規模の揺れがあり、試合が中断したと聞いた。
この日は朝8時過ぎにも千葉県で最大震度5弱の地震があったばかり。
「また大きな地震が来るんじゃないか」
「また生活に支障が出てしまうんじゃないか」
「また野球がストップしてしまうんじゃないか」
そんなことばかり考えながら野球をやっていた。
揺れの直前に「緊急地震速報」として携帯電話がけたたましく鳴ることも。その携帯電話と審判のつけた時計が同期されていて、揺れを観測するたび、審判がつけている時計の地震アラートがビービーと音を立てた。鳴っても揺れが来ないという誤作動も多かった。
最初は驚いて構えたものだったが、選手もスタンドにいるファンも次第に「地震慣れ」してしまい、「ああ、また鳴ったな」というような空気。パニックになるのも良くないが、慣れてしまうのも危険だなと感じた。
試合は嶋の3ランで逆転。俺も終盤の八回に左中間へタイムリーを打って勝利。開幕戦を白星で飾ることができた。
40歳を越え、「一年一年が勝負」という心構えで野球に取り組んできた。常に「今年が最後のシーズン」という気持ちで臨んできただけに、頭の中はいつも自分のことばかりだった。
「開幕からいいスタートを切れるかな」
「1打席目からヒットを打てるかな」
自分の調子のことばかりを考えていた。でも、このシーズンは違った。
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