「オレのことは忘れてもらいたい」とまで漏らした松井秀喜氏が巨人監督を受諾した理由
「24年前に自分の意思で(巨人を)出ました」
23日、都内のホテルで就任会見に臨んだ巨人の松井秀喜新監督(52)はこう言った。
2002年オフ、FAで巨人からヤンキースに移籍する際、「今は何を言っても裏切者と言われるかもしれない」「許されるなら将来また巨人でプレーしたい」と涙ながらに訴えた松井に対し、当時の渡邉恒雄オーナーは「戻りたいなら戻ればいい。ただし席があればな」と突き放した。
あれから24年が経って、ようやく古巣に帰ってきた松井監督は笑顔で、「自分のふるさとに戻ってきたつもり」と言った。
「この24年間、松井は自分を育ててくれた巨人に対して感謝の気持ちや愛情がある一方、複雑な感情があったのも事実でしょう。2009年にはルーキーの太田泰示(36=現巨人二軍コーチ)が長いこと空番号だった背番号55をつけることになった。折に触れてフロント幹部が渡米したのは、松井との関係修復が目的ともいわれた」(放送関係者)
松井監督は恩讐を越えて、ようやく巨人に戻ってきたというのだが、この日に至るまで監督に就任する機会は何度もあった。巨人は早く戻ってきてもらいたいし、ファンもそれを望んでいた。松井監督自身もまた何らかの形で野球界に恩返しをしたいと考え、それが自分を育ててくれた巨人の監督になるのが最もふさわしいことは理解していた。


















