「なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理」兼本浩祐著

公開日: 更新日:

 アイデンティティー――私が私であるという、一見自明のようなことだが、よく考えてみるとそう簡単ではないことに気づく。例えば、私の体はどこまで私の体なのか。爪や垢、髪の毛は私の体の一部なのか。あるいは口から入って消化された食べ物はどこからが自分の体になるのか……。

 こう問い詰めていくと自明であるはずの「私」の存在自体が危うくなってくる。さらに、「私」の核とも思われる「意識」は、鳥類以降の脊椎動物の標準的な装備であり、それはその都度その場での一期一会的な「今」によって触発されたものであり、決して一続きのものではないということが現在ではわかっている。

 ということで、本書のタイトルである。つまり、本来一続きであるはずのない「意識」=「私」が、なぜ人間においては一続きのものと感じられるのか? 精神病理学を専門とする著者は、ノーベル賞生物学者のジェラルド・エーデルマンが提唱した脳のメカニズムの仮説「神経細胞群選択説」を中核に置き、ベルクソン「物質と記憶」、カント「純粋理性批判」、ドゥルーズ「差異と反復」などの哲学概念を参照しながらこの難問に迫っていく。

 200ページ少々の中に中世の普遍論争から、現象学、ポストモダン哲学、心理学、脳科学といった幅広い学問の概念が詰まっているので歯応えたっぷり。生半では理解がおぼつかないのだが、統合失調症にかかった患者が「近しい人間が他人に入れ替わってしまった」と錯覚するカプグラ症候群といった具体的な症例を手がかりにすれば、おぼろげながらも一続きの「私」が立ち上がってくる道筋が感得できる。

 何度も読み返しながら最先端の脳科学の知見に触れる――休みぼけした頭をシャキッとさせるにはうってつけの一冊。<狸>

(講談社 1700円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    永野芽郁は疑惑晴れずも日曜劇場「キャスター」降板回避か…田中圭・妻の出方次第という見方も

  2. 2

    紗栄子にあって工藤静香にないものとは? 道休蓮vsKōki,「親の七光」モデルデビューが明暗分かれたワケ

  3. 3

    「高島屋」の営業利益が過去最高を更新…百貨店衰退期に“独り勝ち”が続く背景

  4. 4

    「たばこ吸ってもいいですか」…新規大会主催者・前澤友作氏に問い合わせて一喝された国内男子ツアーの時代錯誤

  5. 5

    かつて控えだった同級生は、わずか27歳でなぜPL学園監督になれたのか

  1. 6

    永野芽郁×田中圭「不倫疑惑」騒動でダメージが大きいのはどっちだ?

  2. 7

    佐々木朗希「スライダー頼み」に限界迫る…ドジャースが見込んだフォークと速球は使い物にならず

  3. 8

    第3の男?イケメン俳優が永野芽郁の"不倫記事"をリポストして物議…終わらない騒動

  4. 9

    風そよぐ三浦半島 海辺散歩で「釣る」「食べる」「買う」

  5. 10

    永野芽郁がANNで“二股不倫”騒動を謝罪も、清純派イメージ崩壊危機…蒸し返される過去の奔放すぎる行状