荻原浩(作家)
7月×日 こうの史代著「鳥がとび、ウサギもはねて、花ゆれて、走ってこけて、長い道のり」(青幻舎 3520円)。こうの史代の漫画家生活30周年を機にまとめられた1冊。数々の作品の原画やコンテに詳細な解説がつき、30年間の歩みがインタビューや年譜でつづられ、子ども時代や同人誌の頃の絵まで掲載された、ファン(私)にはたまらない1冊だ。
ドラマやアニメ映画にもなった「この世界の片隅に」以外にも良い作品が多い人だから──「夕凪の街 桜の国」(双葉社 880円)は漫画史に残る傑作だと思う--デビューしたのが26歳と漫画家としては遅めで、持ち込み原稿や新作のアイディアがあちこちでボツになったり、連載が順調でも何度も打ち切ったり(自らの判断で!)、彼女の30年がけっして順風満帆ではなかったことに驚いた。
インタビューの中でこうのはこんなことを語っている。「凡人で、感覚が普通で、過度に尊敬されることもなく恐れられることもなく」そういう人を描いているし、自分自身もそうした平凡さが売り、であると。
自分が喋っているのかと思った。私も同じことを考えている。凡人だから普通の人間が描けるのだ。いや、私の場合、凡人のくせに背伸びをすることも時折あるが、そうありたいと思っている。なぜこうのの作品が素晴らしいのか、どうして好きなのか、理由がわかった気がした。
こうのさんには一度、お会いしたことがある。私は小説家なのだが、ごくたまに漫画を描いたり、エッセーに自分でイラストを添えたりしている人間で、5年前、短編漫画集を出した。その時に対談をお願いしたのだ。「この世界の片隅に」のすずさんみたいな、ほんわかした女性だった。いま思えばその時にもこう言っていた。
「漫画家に向いているのは、文章が得意な人、絵を描くのが好きな人、3つめが(絵も文章もほどほどの)凡人」
俺、意外と向いてるかも。