(1)麻布署管内で女性が死んでいる
東京。六本木。
警視庁麻布警察署、刑事課強行犯捜査二係の刑事、庄子敬之は署内にある通称「リモコン」で、パイプ椅子に座って両足を投げ出していた。「リモコン」とは簡単にいえば通信指令室だ。麻布署が管轄する六本木、西麻布──その区域で問題が発生するとここに無線が入る。二〇二四年六月六日、午前二時。宿直の庄子は目を閉じ、呟いた。
「暑い」
おなじくリモコン部屋にいる若手刑事が、庄子を見て笑う。
「庄子警部補、足、揺れてますよ」
「うるせえ」
投げ出した足が貧乏ゆすりしている原因は煙草だ。麻布署も署内禁煙になって久しい。
「煙草は吸えない、おまけにこの暑さ。夜中に三十三℃だぞ、信じられるか? この歳で宿直する身になってみろ。きついぞ。昭和の六月はもう少し……」
五十歳になった庄子が愚痴る。
「とか言いながら、警部補が見た目と違って真面目なのは知っていますよ。こうやって宿直の時は、いつもリモコンか課にきちんと詰めているんですから」
見た目と違ってとは心外な、と思いながら、身長が百八十センチを超えている庄子は視線だけを送った。
「……うるせえ。駄目だ、外に煙草吸いに行ってくる。なにかあったら」
その時だった。無線のがー、がーという機械音が部屋に響いた。
〈六本木六丁目××の路上で、若い女性が腹部を刺された状態で倒れているとの通報あり……〉。
庄子の顔が変化した。
「……無線聞いてろ」
「はい」
急いで庄子は強行犯捜査二係へと戻る。課にいる五人の刑事がそれぞれ作業を止め、流れる無線に集中していた。それは先ほどのリモコンと違い、警視庁通信指令本部から直接指示される「基幹系」と呼ばれる無線だった。基幹系の無線が詳細を語る。
〈麻布署管内で「人が死んでいる」との一一〇番通報あり。場所、六本木六丁目××。なお、通報者によれば〉。
無線に集中していた庄子を除く捜査二係の刑事たちが、次の言葉を聞いて同時に視線を合わせた。
〈──通報者によれば、道で死亡している女性は矢島紗矢さんではないかとの証言があり……繰り返す。道で死亡しているのは〉。
刑事たちが一斉に庄子を見る。庄子ですら、その名に覚えがあった。
「……矢島紗矢って」
「有名な女子アナです。入社二年目で朝のニュース番組の司会をやっている……いまいちばん人気がある子ですよ」
「局はどこだ」
「東都テレビです」
「……まずいな」
東都テレビといえば民放のキー局だ。無線の情報が事実なら、おおきな騒ぎになるのは確実だ。庄子は唇を噛み、舌を打った。廊下には鑑識係と機動捜査隊の警察官たちが、おなじ無線を聞き、歩を早めている。
「一緒に来い」
三十代の刑事が庄子の横に駆け寄る。庄子は二係に残らせる刑事のひとりに言った。
「……林檎を叩き起こせ。いますぐ現場に来いと」
「わかりました」
庄子は非番の、強行犯捜査二係の女性刑事、一之瀬林檎を呼ぶように指示した。
(つづく)