長嶋茂雄さんは僕のお門違いも甚だしい“直談判”にも耳を傾けてくれた「お前の言い分は分かったが…」
2001年掲載「橋本清氏 PL巨人ダイエーの内幕」の第3回を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した誰もにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開します。
今回は橋本清氏による「PL巨人ダイエーの内幕」の第3回(2001年掲載)を再公開(本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま)。
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98年のオフのことだった。突然、ボクは背番号を替えられた。巨人入団以来、12年間も背負ってきた30番から92番への降格。アタマにきた。ホンマに腹が立った。冷静になろうとしても、怒りが収まらない。
「オレに巨人を辞めろということか?」
背番号変更について、球団から事前に何の連絡もなかった。92番という屈辱的な番号降格以上にそれがアタマにきた。