「どら蔵」朝井まかて氏
「どら蔵」朝井まかて著
著者の最新時代小説の舞台は、江戸時代後期、天保の世の骨董業界。真物、贋物入り乱れ、海千山千の商人たちがお宝を巡って虚々実々の駆け引きを繰り広げる。
「ものすごい世界ですよね、奥が深くて。私、若いころから古いものが好きで、気に入った器とか家具とか、買える範囲のものを普段使いしています。好きなだけで詳しくはないのですが、今回、大坂の道具商のどら息子を主人公に書いてみようと」
主人公の「どら蔵」こと松井寅蔵は、大坂の道具商、松仙堂の跡取り息子。遊里通いと口数の多さが災いして奉公先を追い出され、激怒した父には勘当され、あてもなく江戸へと旅立つ。どら蔵18歳。大ピンチのわりに、なんだかのんき。
「どらちゃんは、これまで書いた主人公の中でいちばん自己肯定感が強いキャラです。本人は男前だと思っているし(笑)。なにかと周りからうっとうしがられて、へこむことも多いんですけど、なかなかくじけません」
東海道を下ってたどり着いた江戸で、どら蔵はさまざまな人に出会う。玄人相手の道具商、権兵衛親分とその一味。富山の薬売り、久太郎。親分が「師匠」と呼ぶ得体の知れない老爺、温古堂棭斎。そして江戸の名だたる道具商たち。
一癖ある面々に揉まれながらも、どら蔵はめげない。老舗道具商のあるじの前で、〈目利きにかけては負けまへん。ちいとばかり自信がおます〉と胸を張る。どら蔵の上方弁と周囲の江戸弁のやりとりが絶妙で、テンポよく物語が進んでいく。
「どらちゃんの上方弁は、皆さんが耳慣れている関西弁とは全然違います。今はあまり聞かれませんが、大坂の商人たちが使っていた船場言葉は、ものすごくゆったりしていて美しい。耳に心地よいんです。そのグルーブ感を楽しんでもらえたらいいなあ、と思います」
亡き母親仕込みの目利きに自信はあるが、どら蔵は修業中の身。なのに、親分も師匠も何も教えてくれない。情を見せたかと思えば、あこぎなまねをする。おかげでどら蔵は借金まみれになってしまう。今の世なら間違いなくパワハラ。
「親分も師匠も、どらちゃんを完全放置です。この子は放置して、勝手にいろんな経験をさせたほうがよかろうと考えたんでしょうね。2人は人間の目利きでもあったと思います。作中で親分に『おめえ、まだ命懸けたことねえだろ』と言わせましたが、身銭を切らない売り買いでは修業にならない、というのが親分のスタンスです。良い面、悪い面はありますが、今とは違うやり方で人が磨かれていくさまをお見せできるのは、時代小説の書き甲斐でもあります」
心が折れかけたり、てんぐになったり、恋に破れたりしながら、どら蔵は成長していく。真贋の機微に触れ、「競り」の怖さも知った。
「どらちゃんと一緒に走った感じがありました。楽しかったです」
愛すべき主人公と個性派ぞろいの脇役が繰り広げる人間喜劇。それぞれのしぐさや表情が目に浮かび、声まで聞こえてくるようで、江戸の風情と人情をたっぷり味わえる。 (講談社 2475円)
▽朝井まかて(あさい・まかて) 1959年、大阪府生まれ。甲南女子大学文学部卒業。2008年、「実さえ花さえ」で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し、作家デビュー。14年、樋口一葉の師・中島歌子の生涯を描いた「恋歌」で直木賞受賞。同年「阿蘭陀西鶴」で織田作之助賞。以後、「雲上雲下」で中央公論文芸賞、「悪玉伝」で司馬遼太郎賞など受賞多数。歴史・時代作家として活躍している。