「あなたが僕の父」小野寺史宜氏
「あなたが僕の父」小野寺史宜氏
人と人との温かなつながりを描く物語を、日常の何げない出来事を通して紡いできた著者。最新作では「親の老い」をテーマに、父と息子が不器用ながらも新たな関係を築いていく様子を描いている。
「この題材は編集者から勧められたのですが、いわゆる介護の話にはしたくなかった。介護の大変さは多くの人が知っているので、それをあえて小説で描かなくてもいい。むしろ親の老いは“終わり”の象徴ではなく、互いに向き合うきっかけとなることで親子関係の“始まり”にもなり得ると思ったんです」
主人公の富生は東京の求人広告会社に勤務する40歳。6年前に母が亡くなり、館山の実家には78歳の父・敏男が一人で暮らしている。目下の気がかりは、その父が同じことを何度も言うようになったこと。とはいえ、電話をすれば日常生活のことなどはすんなりと答える。だから安心していたのだが、2時間も経たないうちにまったく同じ用件で電話をかけてきたことをきっかけに、その不安は思い過ごしではすまなくなってくる。
「親の老いを正しく受け止めるのは容易ではありません。“普段は会話できるから、そこまで深刻な状況ではないはず”と、良い方に考えて安心したくなってしまいます。でも、誰にでも平等に“その時”はやってくるんですよね」
ほぼ1年ぶりに実家に帰った富生は、父の運転する車のバンパーのへこみや、調理中に指をざっくりと切ってしまう姿を目の当たりにする。そして、“父は一人なのだ”と、改めて実感し、自分は父のことを何も知らないのだということに気づかされる。
「敏男が指を切るシーンは、僕と父の間に本当にあったこと。かなりの出血にパニックになりつつ、すぐに対応してくれる外科を僕が調べて電話して……と、大騒ぎしながらも事なきを得ました。でも、もしあの時父が一人だったらと考えると、ゾッとします」
この出来事をきっかけに、富生は仕事をテレワークに切り替え、館山の実家で父と暮らすことを決意する。東京には8年付き合った恋人がいたが、父のことを何も知らないまま母のように逝かれてしまうことは、自分が一人になることよりも脅威だった。
「家族ごとに事情は違うので、親の老いとの向き合い方に対する正解もひとつではないと思います。ただ、タイムリミットは確実にあるので、間に合ううちに行動したいですよね」
富生と敏男は、ことさら仲の良い親子だったわけではない。富生が10代の頃には父の浮気問題が発覚したこともあり、気安く会話をしてこなかった。しかし富生は父と向き合い、関係の再構築に踏み出す。
「父と息子って不思議な関係です。確執などがなくても、母と娘のようには会話が弾まない。野球や景気の話はしても、父の若い頃の夢や母とのなれ初めなどを聞いたことがあるという息子は少ないでしょう。でも、父も話したくないのではなく、聞かれないから話さないだけ。とくに年を取れば意外といろいろなことを話してくれるもので、これも僕の実体験です。今からでも、遅くはないですよ」
自分と父、あるいは自分と息子の関係を見つめ直したくなる本作。いずれ別れが訪れたときに、後悔だけはしないように──。 (双葉社 1870円)
▽小野寺史宜(おのでら・ふみのり)1968年千葉県生まれ。2006年に「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール讀物新人賞受賞。19年に「ひと」が本屋大賞第2位となりベストセラーに。「まち」「いえ」「うたう」「家族のシナリオ」、「みつばの郵便屋さん」シリーズなど著書多数。