歴史を知る者は、撃つ責任から逃れられるのか 『ジパング』(全43巻) かわぐちかいじ作
『ジパング』(全43巻) かわぐちかいじ作
★あらすじ
最新鋭イージス艦「みらい」とその乗員が、太平洋戦争開戦直前の海へとタイムスリップするところから始まる物語である。圧倒的な科学技術と現代的価値観を持つ自衛官たちは、旧日本軍と遭遇し、歴史を知る者として「関わるべきか、関わらざるべきか」という選択を迫られる。救える命を前にして動かないことは正義なのか、撃つことで歴史を変えてしまう責任を負えるのか。戦闘の迫力と同時に、判断と責任の重さが執拗に描かれ、戦争と専守防衛、そして歴史改変の倫理を問い続ける重厚な架空戦記漫画。
かわぐちかいじの『ジパング』は、タイムスリップという一見わかりやすい装置を用いながら、実際には読者をまったく楽にしてくれない作品である。娯楽としての歴史改変、もしも未来の力で過去を正せたら、という甘美な想像を、物語は冒頭から冷水で叩き潰す。ここで描かれるのは痛快な英雄譚ではない。「判断してしまった者」が背負い続ける、その後の世界だ。
物語の起点となるのは、イージス艦「みらい」とその乗員が、太平洋戦争開戦直前の海へ放り出されるという異常事態である。圧倒的な科学技術、情報量、戦術能力を持つ現代の自衛隊が、旧日本軍と遭遇する。この設定だけを聞けば、多くの読者は爽快な無双劇を期待しただろう。だが『ジパング』は、その期待を最初から裏切る。勝てるからこそ撃てない。知っているからこそ選べない。その袋小路に、乗員たちは次々と追い込まれていく。
本作の冷酷さは、「攻撃」を特別なものとして扱わない点にある。ミサイルは撃てば当たる。艦は沈む。そこに奇跡も誇張もない。しかし、その一発が歴史という巨大な構造のどこに、どのような歪みを生むのかは、誰にも見えない。かわぐちは、戦闘シーンの直後に必ず余韻を残す。沈黙、動揺、説明不能な不安。戦果ではなく、その後に漂う空気を丹念に描くことで、攻撃がいかに取り返しのつかない行為であるかを、読者の身体感覚にまで落とし込む。
特に印象的なのは、主人公である角松艦長が背負わされる役割だ。彼は英雄として振る舞うことを許されない。部下を守るために下した判断が、歴史をねじ曲げるかもしれないという恐怖を、常に抱え続ける。命令を出すという行為が、単なる職務ではなく、倫理的断罪を伴うものへと変質していく過程は、本作の核心の一つである。
旧日本軍の描写もまた、この作品を単なるSF戦争漫画に終わらせない重要な柱だ。彼らは狂気や愚かさの象徴としては描かれない。そこにいるのは、時代と制度に縛られながらも、恐怖を押し殺し、疑問をのみ込み、それでも任務に就く生身の人間たちである。現代の自衛官たちは、その姿に安易な優越感を抱けない。なぜなら、自分たちもまた別の制度と命令体系の中で生きる軍人だからだ。立場が違うだけで、本質は同じかもしれない。その気づきが、彼らの行動をさらに硬直させていく。
『ジパング』が執拗に問い続けるのは、「専守防衛」という日本独特の理念の実相である。撃たないことは正義なのか。撃てるのに撃たないという選択は、本当に中立なのか。有事において「何もしない」ことが、どれほど多くの結果を生むのか。かわぐちは、政治的スローガンや解説的せりふに逃げることなく、あくまで現場の判断だけでそれを炙り出す。命令の空白、責任の所在の曖昧さ、最終的に現場に押し付けられる決断。その一つ一つが、現代日本の安全保障の縮図として立ち上がる。
物語が進むにつれ、歴史改変の影は濃く、重くなっていく。救った命が、別の死を生む。守った国家が、より歪んだ形で存続する可能性すら示される。未来を知っているという優位性は、やがて逃れられない呪いへと変わる。かわぐちはここで、「正しい歴史」など存在しないことを、冷酷なまでに突きつける。あるのは、選んでしまった歴史だけだ。
読み終えたとき、胸に残るのは達成感やカタルシスではない。むしろ、言葉にできない重たい沈黙である。もし自分が同じ立場に置かれたとき、何を基準に判断できるのか。その問いは簡単には答えを許さない。『ジパング』は戦争を描いた作品ではあるが、戦争漫画ではない。有事における思考停止を拒み、責任から目をそらすなと迫る、極めて現在形の作品である。歴史を描きながら、実は未来に向けて書かれた冷たい警告書だ。
(講談社 kindle版 792円~)



















