著者のコラム一覧
増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

癒やしでは語れない、専門職として生きる日常 『動物のお医者さん』(新装版全12巻) 佐々木倫子作

公開日: 更新日:

『動物のお医者さん』(新装版全12巻) 佐々木倫子作

★あらすじ
 北海道の大学獣医学部を舞台に、無口で冷静な学生・西根公輝と、個性豊かな仲間たち、そして犬のシベリアンハスキー・チョビを中心に描かれる日常漫画である。派手な事件は起きないが、動物医療の現場で起こる小さな出来事や失敗、命との距離感が、淡々としたユーモアで積み重ねられていく。感情を過剰にあおらず、動物も人も等しく手のかかる存在として描く視線が特徴で、笑いの中に、命と向き合う仕事の現実と覚悟が静かににじむ。学園もの、職業ものとしても完成度の高い、異色の名作。


 しばしば「癒やしの名作」として語られる。確かに笑えるし、動物は可愛い。キャラクターも印象に残る。ただ、それだけで語り終えてしまうと、この漫画が持っている落ち着いた厚みのようなものが見えにくくなる。ここで描かれているのは、強い刺激や劇的な成長ではなく、日々の中で少しずつ形づくられていく現実感である。派手ではないが、どこか手応えのある空気が、全体を通して流れている。

 舞台が北海道大学獣医学部であることも、その空気を支えている。東京の大学では少し違うし、関西ともまた異なる。北大特有の、広々としたキャンパスや、移動に時間がかかる日常、季節によって生活のリズムが変わる環境。そこでは、学ぶことと生活することが自然につながっている。厳しさというより、落ち着いて腰を据える必要のある場所、という印象が近い。

 主人公の西根公輝も、最初から明確な志を持った人物ではない。獣医になりたいという強い理想があったわけでもなく、成り行きの中で獣医学部に進んだ部分が大きい。それでも、学びを重ねるうちに、命を扱う分野の現実が少しずつ見えてくる。解剖や感染症、統計や実験といった科目は、感情を否定するものではないが、感情だけでは立ち行かないことを教えてくれる。この漫画は、その距離感を穏やかに示している。

 登場人物たちは、よく「変わった人たち」と言われる。しかし彼らは、特別に奇抜な存在というより、それぞれの関心や得意分野に正直なだけの人間たちだ。菱沼聖子の集中力も、二階堂昭夫の不器用さも、専門性に比重を置いた結果として自然に描かれている。器用ではないが、その分、同じ場所にとどまり、積み重ねていく。その姿勢が、この作品の穏やかな緊張感を生んでいる。

 こうした落ち着いた世界観にもかかわらず、『動物のお医者さん』は大きな社会的影響力を持った。シベリアンハスキーの人気が広がったことや、ハムスターが家庭で飼われる存在として定着したことは、そのわかりやすい例だ。ただし、この漫画は「可愛いから飼おう」と背中を押したわけではない。世話の手間や難しさ、別れが避けられないことも含めて描いたうえで、それでも人は動物と暮らすのだという感覚を静かに伝えた。

 だからこの作品は、動物を流行として消費させたのではなく、暮らしの一部として受け取らせた。地方で学ぶこと、専門職を目指すこと、動物と関わり続けること。それらを特別なものにせず、日常の延長として示した点に、この漫画の影響力がある。
『動物のお医者さん』が描いているのは、きらびやかな青春ではない。しかし、重苦しい覚悟でもない。迷いながら、寄り道をしながら、それでも続けていく姿である。その姿を、柔らかなユーモアと淡い距離感で包み込んだことが、この作品を長く読まれるものにした。静かだが確かな力で、読者の生活感覚に溶け込んでいった漫画なのである。
(小学館 kindle版759円~)

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