救済なき世界で、正義を選ぶ責任を引き受ける 『風の谷のナウシカ』(全7巻) 宮崎駿作
『風の谷のナウシカ』(全7巻) 宮崎駿作
★あらすじ
文明崩壊後の世界を舞台に、風を読む少女ナウシカが、人類と自然の深刻な対立に向き合い続ける物語である。瘴気に覆われた腐海と巨大な蟲に支配された世界で、人々は生き延びるために争いを繰り返している。ナウシカは武力や征服ではなく、理解と共存によって道を探ろうとするが、その理想は何度も裏切られる。人類の罪、自然の浄化作用、そして命の価値が複雑に絡み合う中で、ナウシカは憎しみを引き受ける覚悟を選ぶ。善と悪の単純な対立を超え、生きるとは何かを問い続ける、思想性の高い叙事詩的漫画。
この作品はあまりにも有名であるがゆえに、読みやすい言葉へと回収され続けてきた。
環境問題、反戦思想、自然との共生。どれも間違ってはいない。しかし、それらはこの漫画を「理解した気分」になるための安全な手すりにすぎない。漫画版『ナウシカ』を真正面から読むとき、読者はまず、世界がすでに取り返しのつかない場所に立っているという事実を受け入れなければならない。再生の物語ではない。修復の物語でもない。これは、壊れたまま進む世界を描いた記録である。
腐海はしばしば「自然の復讐」と誤解されるが、作中で描かれるそれは、感情を持たない機構に近い。人類が生み出し、制御不能になったものが、ただ機能し続けている。その結果として空気は浄化され、大地は変質し、人間は生存条件を失っていく。重要なのは、腐海が人類のために働いていないという点だ。人間が滅びようと、腐海は完成する。この非情な前提が、物語から安易な希望を奪っている。
ナウシカという主人公も、癒やしの象徴として消費されがちだが、漫画は彼女を一貫して危うい存在として描いている。蟲と心を通わせる力は共感の能力であると同時に、支配の可能性でもある。人々が彼女の言葉に従うのは、善意ゆえだけではない。彼女が放つ確信の強さが、集団を動かしてしまうのだ。ナウシカ自身はそのことをよく知っている。だから彼女は常に迷い、躊躇し、恐れている。彼女が最も恐れるのは敗北ではない。自分が正義として振る舞ってしまうことだ。
作中において、完全な悪は存在しない。トルメキアもドルクも、それぞれの論理と歴史を背負っている。誰もが生き延びるために行動しているだけで、結果として争いが生まれる。宮崎駿は、戦争を悪意の産物として描かない。必然の連鎖として描く。その構造を理解しているナウシカは、介入するたびに何かを失う。救う命と、切り捨てる命。その選別から、彼女は一度も自由になれない。
旧人類が残した浄化計画は、物語の中で最大の誘惑として提示される。清潔で、管理され、争いのない世界。しかしそれは「生きること」が制度化された世界でもある。ナウシカはそれを拒否する。理由は単純で、残酷だ。正しく設計された世界では、人間は生きているとは言えないからだ。誤り、争い、汚れを含んだまま進む未来を選ぶ。その判断は美談ではないし、賢明とも言い切れない。ただ、彼女は選ばなかった責任よりも、選ぶ責任を引き受ける。
結末が重いのは、救済を約束しないからだ。世界は良くならないかもしれない。人類は滅びるかもしれない。それでも、決められた正解の中で生かされることだけは拒む。この態度は、読者を慰めない。読み終えたあとに残るのは、感動ではなく沈黙だ。その沈黙の中で、読者は問われる。自分ならどこで線を引くのか、と。
(徳間書店 605円~)



















