世界は理解不能なまま在り続ける 『蟲師』(全11巻) 漆原友紀作
『蟲師』(全11巻〈本編10巻+特別編1巻〉) 漆原友紀作
★あらすじ
人間社会と自然のはざまに存在する原初的生命「蟲」を巡り、蟲師ギンコが各地を旅する連作短編である。蟲は善悪を持たず、ただ在るがゆえに人の暮らしへ静かな歪みをもたらす。病いや怪異のように現れるそれらに対し、ギンコは排除や救済ではなく、因果を見極め、最小限の介入で均衡を取り戻そうとする。語られるのは勝利ではなく、選択の余韻と失われるものの重さだ。自然への恐れと共生の困難さを、淡い光と沈黙で描いた、静謐な寓話的世界。
きわめて異質な静寂をまとった作品である。怪異譚、民俗幻想、ヒーリング漫画--どの呼び名も誤りではないが、同時に核心からは距離がある。『蟲師』が描いているのは癒やしではないし、自然賛歌でもない。この作品の中心にあるのは、「世界は理解不能なまま存在し続ける」という、受け入れがたい事実である。
作中に登場する蟲は、善でも悪でもない。人を救うこともあれば、破滅させることもあるが、その振る舞いに意思はない。彼らはただ在る。人間の倫理や感情とは無関係に、生態として存在している。この無関心さこそが、『蟲師』の根幹を成している。蟲は罰を与えないし、試練も課さない。人が傷つくのは、世界が残酷だからではなく、世界が人間を配慮しないからだ。
主人公ギンコは、この世界観を最も正確に体現する存在である。彼は蟲を討伐する英雄でも、村を救う救世主でもない。できることは限られている。調べ、説明し、時には対処するが、必ずしも事態を好転させられるわけではない。助かる者もいれば、失われる者もいる。ギンコ自身もその結果から自由ではない。彼は職業として蟲師である前に、「できないことを知っている人間」として描かれている。
物語構造は、一見すると単話完結の形式をとる。しかし実際には、どの話も完全には閉じない。救いがあっても、それは部分的で、暫定的だ。問題は解決されても、世界そのものは変わらない。次の土地では、また別の蟲が、別の悲劇を生む。この反復は、読者に安心ではなく、諦観をもたらす。世界は改善されない。ただ続いていく。
本作が描く自然は、美しいが、決して優しくはない。山や川、霧や雪は、情緒を伴って描かれるが、人の命を守る存在としては扱われない。自然は背景ではなく、主体でもない。人と並列に存在する「別の論理の体系」として置かれている。そのため、登場人物たちはしばしば、自分の不幸の理由を理解できないまま、選択を迫られる。理解できないからといって、選ばなくてよいわけではない。この冷酷さが、読後に独特の重さを残す。
特筆すべきは、この作品が「説明」を極端に拒んでいる点だ。蟲の正体は完全には語られないし、世界の成り立ちも明かされない。読者は常に、分からないまま物語を読み進めることになる。だがその不親切さは、欠点ではない。むしろ、世界を理解しきれないまま生きる人間の姿を、最も誠実に再現している。分からないことがある、という状態そのものが、この漫画の読書体験なのだ。
ギンコは多くを語らない。感情をあらわにすることも少ない。しかし彼の沈黙は冷淡さではなく、距離の取り方である。深入りすれば、事態を悪化させることもある。関わりすぎれば、誰かの人生を壊してしまうかもしれない。そのことを知っているからこそ、彼は一線を引く。その姿勢は優しさではない。責任の形である。
作品に希望がないわけではない。ただしそれは、未来が良くなるという種類の希望ではない。理解できなくても、生きていくしかないという、きわめて消極的な肯定がある。世界は理不尽で、人は無力で、救いは限定的だ。それでも、今日をやり過ごすことはできる。その静かな肯定が、この作品を単なる幻想譚から引き離している。
この漫画を読み終えたとき、胸に残るのは感動ではない。説明しきれない疲労と、微かな納得である。世界は分からないままでいいのかもしれない。そう思わせる力を、『蟲師』は持っている。何も解決しないからこそ、この作品は長く残る。評価されるとすれば、それは完成度の高さではない。世界と人間の距離を、ここまで誠実に描いた姿勢そのものが、評価されるべきなのである。
(講談社 kindle版 792円~)



















