「少年とハリス」稲葉稔氏

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「少年とハリス」稲葉稔氏

 安政3年7月、下田湾の遠見番所に居た主人公・村山滝蔵が、沖に一隻の黒船を発見し、下田奉行所に駆け込む場面から物語は始まる。ペリーが日本を去ってから2年、日米和親条約に基づき、米国はタウンゼント・ハリスという日本総領事を派遣し、さらなる通商条約を結びたいというのだ。滝蔵少年は、大混乱の下田で初めて異国人と出会う。

「従来とは違う視点の幕末物を書きたいと思っていたとき、横浜市歴史博物館でペリー来航時の資料を見る機会がありました。そこで、ハリスに仕えてのちに大使館に勤めた足軽がいたことを知り、彼には、そうなるだけのいきさつがあったはず。そうひらめいたことが、執筆のきっかけになりました」

 攘夷派の動きを恐れた幕府はハリスへの返事を遅らせて追い返すようにと仕向け、結果下田藩からハリスへの返事は時間稼ぎばかり。業を煮やしたハリスは直接江戸に向かうと言い出す。下田奉行所は、仕方なくハリスに下田の玉泉寺での滞在を認め、身の回りの世話係を滝蔵に命じた。

 本書は、歴史の転換点に居合わせた16歳の滝蔵が、言葉の通じないハリスとの出会いを通じて、役割や身分にとらわれない人と人の交流の原点に触れ、成長を遂げていく成長物語だ。

「次男坊だった滝蔵は、家に居場所がなかった。しかも当時は生まれたときから身分で人生は決まっていて、努力しても報われることがない。一方のハリスは商家の生まれでありながら、米国代表として日本に派遣され、足軽の身分の自分に対して、差別もせずに平等に扱ってくれた。滝蔵が心を動かし、英語を覚えていずれ通詞(通訳)になりたいと願うのも無理もない」

 幕府は、天皇の勅許を得ずに結んだ日米和親条約での約束を反故にしようとし、結果幕府に逆らえない下田藩のなかでも、特に自分に決定権のない通詞は交渉の場で四苦八苦する。大勢の人間が右往左往する日本側と、たった一人アウェーな場で自分の主張を繰り返すハリスが対照的だ。

 まっすぐな意見交換を避けたまま、接待することで米国の機嫌をとろうともくろむ当時の日本の作戦は、米国の関税などに悩まされる昨今の日本とどこか重なってみえる。

「組織には派閥もあり、派閥の論理に阻まれて忖度せざるを得なかった日本側に対して、ハリスは、通商条約が日本にも米国にも益があるという考えを曲げずに理解してもらえるように努力した人。鎖国の固い扉を実質的にこじあけたのはハリスで、そもそもの日米同盟の原点はこのときのハリスとの交渉にあったのではないかと思うのです」

 滝蔵はそんなハリスの苦悩や孤独を感じて少しでも役に立ちたいと願うようになっていった。世代も国籍も違う2人が、血のつながった親子以上の深い絆を感じ合い、父親と息子のように情をかわすのだ。

「長年歴史物を書いてきたなかで、私が一番表現したいのは、人の情けや人を思いやる気持ちです。人と人とのコミュニケーションは言葉がすべてではなくて、言葉が通じなくても、滝蔵のようにしぐさや表情、態度や行動で心情をわかりあうこともできる。従来の幕末物とは一味違う物語を本書で楽しんでもらえたら」

 (幻冬舎 1980円)

▽稲葉稔(いなば・みのる) 1955年、熊本県生まれ。脚本家、放送作家を経て、94年に作家デビュー。「武士の流儀」シリーズなど著書多数。2020年「隠密船頭」と「浪人奉行」シリーズで第9回日本歴史時代作家協会賞文庫シリーズ賞を受賞。

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