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中川右介

1960年東京生まれ、早大第二文学部卒業。出版社「アルファベータ」代表取締役編集長を経て、歴史に新しい光をあてる独自の執筆スタイルでクラシック音楽、歌舞伎、映画など幅広い分野で執筆活動を行っている。近著は「月9 101のラブストーリー」(幻冬舎新書)、「SMAPと平成」(朝日新書)など。

森繁久彌が“同じ心で歌っている”と激賞した「知床旅情」

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 森繁久弥が「知床旅情」を作詞・作曲したのは、その8年前だった。東宝の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」で人気絶頂にあった森繁は、「地の涯に生きるもの」という映画を自主製作した。

 その撮影が終わった時にロケ地の知床の人々への感謝の思いで作ったのが、「さらば羅臼よ」という曲だった。この曲が65年に森繁によってレコーディングされ「しれとこ旅情」として発売された。森繁久弥は日本のシンガー・ソングライターの草分け的存在なのだが、俳優としてのイメージが強すぎるし、「しれとこ旅情」もこの時は大ヒットしたわけではなかった。加藤も藤本の歌を聴くまでは知らなかったのだ。

「ひとり寝の子守唄」が69年9月に発売され、その秋も深まった頃、加藤は九州で開かれた何人もの歌手が出るコンサートで歌った。出演者の中に森繁久弥もいて、初めて会い「僕と同じ心で歌っている」と激賞された。この出会いの後、加藤は自分のコンサートで「知床旅情」を歌ってみることにした。聴衆からの評判がいい。そこでレコードにすることになり、70年11月に発売されると大ヒットし、71年の「紅白歌合戦」に出場した。

 国鉄が70年から「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを始め、偶然にも旅情ブームとなり、それにうまく乗ったのもヒットの理由だが、森繁が言うように、彼と加藤登紀子に「同じ心」があり、それを人々が感じ取ったので、共鳴が広がったのだ。加藤登紀子にとっても「知床旅情」にとっても、幸福な出会いだった。

 森繁久弥もまた満州から引き揚げてきた人だ。加藤は後に森繁の自伝を読み、彼が佐世保に着いたのが46年10月21日だと知って驚いた。彼女が母と兄・姉と満州から引き揚げて長崎に着いたのが、その5日前の10月16日だったからだ。

 加藤登紀子の人生には、こういう不思議なめぐり合わせが多い。

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