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大高宏雄映画ジャーナリスト

1954年浜松市生まれ。明治大学文学部仏文科卒業後、(株)文化通信社に入社。同社特別編集委員、映画ジャーナリストとして、現在に至る。1992年からは独立系を中心とした邦画を賞揚する日プロ大賞(日本映画プロフェッショナル大賞)を発足し、主宰する。著書は「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など。

田中邦衛さんは「日本一ももひきが似合う俳優」でもあった

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 俳優の田中邦衛さんが亡くなった。88歳だった。著名な俳優の逝去は人によって思いが異なる。1961年から始まった加山雄三主演の「若大将」シリーズの青大将がすぐに浮かぶ人。81年スタートのテレビドラマ「北の国から」の黒板五郎が強烈に甦る人。「網走番外地」(1作目、65年)、「仁義なき戦い」(1作目、73年)の両シリーズはじめ、多くのヤクザ映画が記憶に残っている人。他の作品含め、世代、年齢によって全く違う思いを抱くことだろう。

 筆者は「若大将」の第1作目である「大学の若大将」(監督・杉江敏男、61年)を小学生のときに見ている。もちろん、目当てはヒーロー・加山扮する若大将だ。ところが、若大将と敵対関係になる青大将が強烈な個性だったことも記憶に残っている。子どもにもグサッとくるような強いイメージを与える俳優だった。

 ここでは田中さんの映画の歩みを駆け足で振り返ってみよう。デビュー作は「純愛物語」(57年)だ。それから「人間の條件」(59年)、「第五福竜丸」(同)、「キクとイサム」(同)、「悪い奴ほどよく眠る」(60年)、「武器なき斗争」(同)などで脇役が続く。その時点で巨匠、名匠の作品が多いのも驚く。これは田中さんが俳優座出身であることとも関係があるだろう。

■新劇出身俳優がたどる道筋そのもの

 それは当時の映画界の事情が影響していて、その作品歴は新劇出身俳優がたどる道筋でもあった。50年代から60年代にかけて、大手ではなく独立系の会社で社会的な題材をテーマにする野心的な監督たちが多くいた。監督と劇団、そこに所属する俳優たちは思想的な面を含めて同志的なつながりがあったと考えられる。演技の素養が十分にある新劇系俳優の起用の機会が多かったのだ。

 独立系作品ばかりではない。新劇系俳優は大手の娯楽映画にも多数出演し、さまざまな役柄のもとで映画を支え続けた。娯楽映画を量産していく大手の映画会社からしても、演技の基盤が確かな俳優たちへの信頼感たるや絶大なものがあったと思う。劇団、俳優側からしたら娯楽映画の出演から得るギャラを収入源にできたことも大きかったとみる。新劇系のベテランから若手までの映画出演は、日本映画の歴史にとって非常に重要な役割を果たした。その中心的な時期がさきの年代であり、田中さんは若手の一人といえただろう。

 大きな変化は、やはり「若大将」シリーズだ。シリーズものの人気娯楽映画の中軸として活躍できたことは、その後の俳優人生に全く得難いことだったと思う。えてして新劇系の俳優はその魅力の源泉である演技の素養が逆に演技過多というのか、オーバーアクション気味になることもあるが、田中さんは天性の才能でもって演技過多から免れた。

■“オーバーアクション”も個性

 いくらオーバーアクションに見えたとしても、それは田中邦衛の個性、演技となって画面を活気づかせた。基盤にあるのが卓抜なユーモア感覚だ。「大学の若大将」では、若大将の口車に乗って大学のパーティー券販売に一役買ってしまう。そのときの言葉が、「どういうの、それ」。本作で一番面白いセリフ、シーンだ。

 青大将役の田中さんの個性や人気は、さまざまな巨匠、名匠たちの目を一段と引いたことだろう。「若大将」と並行して、引き続き黒澤明、勅使河原宏、小林正樹らの映画史上に名高い作品に出演する。もうこのあたりになると短いシーンでも田中さんは映画を見る多くの人の目に焼き付く俳優になっていたことだろう。そして、65年には高倉健主演の「網走番外地」で囚人の役に扮して演技の幅を深めていく。何本も出演した「網走番外地」シリーズが呼び水にもなったか、深作欣二監督の「人斬り与太 狂犬三兄弟」(72年)を経た「仁義なき戦い」シリーズでは要領よく立ち回るように見える小心者のヤクザ役が、多くの観客の笑いをとっていたと記憶する。ここでは「若大将」とはまるで違った彼のユーモア感覚が群を抜いていた。

「若者たち」で見せた真骨頂

 順序が逆になるが、ヤクザ映画で活躍する前には初期の社会派作品歴にもつながる独立系の「若者たち」(監督・森川時久、68年)が圧巻だった。貧しい家族の長男役として兄弟たちのさまざまな問題に立ち向かい、自身も一労働者としての苦渋をなめる。彼は家族を束ねる長男役がとてもよく似合った。強烈なリーダーシップをとるというより人と向き合う姿勢に嘘偽りがなく、裏のない本音で人と接するからだろう。父権的な横暴さを振り回すこともない。とともに、汗水たらして働く役柄がピタリとはまる。本作に「俳優・田中邦衛」の真骨頂が出ている。

 田中さんにとって異色な作品となる2本、「アフリカの光」(監督・神代辰巳、75年)と「黒木太郎の愛と冒険」(監督・森崎東、77年)に触れないわけにはいかない。筆者が田中さんの映画ベスト5を挙げるとしたら、欠かせない2本である。前者では萩原健一扮する青年と北の土地に来て、漁船に乗ってアフリカ行きを夢見る。萩原とは一蓮托生のような濃密な関係だが、田中さんは漁で体を壊して帰路につく。高熱のため、白のももひき姿で萩原と体を密着させながらうごめくシーンはおかしさとやるせなさが入り乱れ、映画史上の名場面になったといえる。田中さんは日本一、ももひきが似合う俳優でもある。

 後者の「黒木太郎」ではスタントマンの役だが、日常では度外れた正義感の持ち主として数々の修羅場を乗り越えていく。凄いのは発想、行動の原理が人とは全く違うことだ。社会常識に従っていては社会の構造、人間関係はびくともしない。善良なだけではこの世界は生き抜けないが、徹底して筋は通す。映画ではその振る舞いを天性の勘とおそらく実体験からも会得したように描かれる。

女性に対する底知れぬ優しさ

 その奥深いところにあるのが、非常識ともとられかねない底知れぬ優しさだと思う。とくに女性に対してその思い、行動が強く向かっていく。田中さんの独特の個性が全開の作品だったと思う。

 80年代に入ると高倉健主演作や山田洋次監督作への出演が目立つようになるが、これまで駆け足で書いてきたものは田中さんの俳優人生のほんの部分的なことに過ぎない。ただその部分においても、一つ強く感じることがある。彼の俳優人生が期せずして日本映画の歴史と重なっていくということだ。

 少数のごく限られた俳優の人生を振り返るとき、その作品歴が日本映画史をたどっていくことがある。主演を多く張った俳優に顕著だが、田中さんのように脇役から主役まで幅広い役柄で活躍した俳優ではそれは本当に稀なことではないかと思う。ここが本当に凄いのだ。田中さん、存分に楽しませていただきました。この場を借りて、田中邦衛さんに感謝の言葉を送りたいと思います。ありがとうございました。

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