松任谷正隆が語るコロナ禍での「SKYE」結成 「セールスより楽しむことを大切に」

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 緊急事態宣言が9月末で解除された後の10月、2021年に全員が70歳を迎えるバンドがデビューした。「SKYE」(スカイ)だ。メンバーは、林立夫(ドラムス)、小原礼(ベース)、鈴木茂(ギター)、松任谷正隆(キーボード)。サディスティック・ミカ・バンド、はっぴいえんど、キャラメル・ママなどで、1970年代から活躍してきたレジェンドたちだ。ファーストアルバムのタイトルは「SKYE」。メンバーのひとり、松任谷正隆にバンド結成の経緯とコロナ禍での音楽活動について聞いた。

  ◇  ◇  ◇

「僕のほかの3人が高校生時代に組んでいたバンドがSKYEでした。彼らが2019年に佐野史郎さんのアルバム『禁断の果実』に参加して、そこに僕が誘われたのが今回のSKYEの活動のきっかけですね」

 バンド結成の場は六本木。1960年代からある店「一億」だった。マネジャーを伴わず、4人だけで食事をした。

「メンバー全員が楽曲を作る。全員が演奏する。全員が歌う。下手でも歌う。アルバムを作ったら、ライブをやる。それを約束しました」

 ひとりのフロントマンが目立つのではなく、4人が同じように音に関わるSKYEは、とてもバンドらしいバンドだ。レコード会社が持つケースが多い原盤権(作品の権利)もメンバー全員で持とうと決めた。

「原盤権を持つと、スタジオ代をはじめ諸経費は自分たちで負担することになります。みんなでお金を持ち寄ろうと話しました」

 4人はスタジオで音を確かめ合い、それぞれのやり方で曲作りをスタート。

 松任谷も自宅のスタジオで音を作り始める。

「由実さん(妻・松任谷由実)の新作『深海の街』と同時に制作を進めました。由実さんのアルバムでコロナ禍を意識する一方、SKYEはとにかく楽しみました。曲も詞も、思いついたとき、楽しめるタイミングで一気に作っていった。夜中にスタジオにこもったり明け方に歌詞が浮かんでスマホに打ち込んだり。歌詞は歌うもので、リスナーが聴くものです。かしこまって紙に書くのではなく、頭の中で言葉を鳴らすようにして生み出していきました。やがて緊急事態宣言が発令されて、閉鎖された生活になったけれど、音楽を作っている時間は幸せでしたね」

「みんなの意見を尊重し、自分の意見もきちんと言う」

「どちらのOthello」「川辺にて」「BLUE ANGELS」「Dear M」で松任谷はリードボーカルを担当、6曲で詞曲にかかわり、全曲で演奏している。SKYEの音作りでは、どんなことを心がけたのだろう。

「売れるアルバムにしようという気負いはありませんでした。でも歌詞は、69歳(当時)の男が歌って恥ずかしくない内容を意識しています」

 レコーディングには、約1年を費やした。

「正味にすると1カ月くらいでしょう。コロナ禍で小原や茂は予定していたツアーがなくなり、バンドのスケジュール調整には苦労しませんでした。レコーディングで、僕が意識したのは協調でしょうか。自分が作った曲でも、ほかのメンバーの曲でも、みんなの意見を尊重し、でも自分の意見もきちんと言う。この4人だからこそのバンドサウンドであり、ただし、その大切なところを自分が担っているという実感は欲しかったです」

 来年は、SKYEで全国5カ所くらいのツアーを考えている。

「これこそバンドの音、という演奏になると思っています」

「シニアツアーに参戦している感覚に近いかも」

 10月に「SKYE」でアルバムデビューしたバンド、SKYE。メンバーは、林立夫(ドラムス)、小原礼(ベース)、鈴木茂(ギター)、松任谷正隆(キーボード)。松任谷はセールスよりも楽しむことを大切に曲作りし、演奏し、歌ったという。

ゴルフのシニアツアーに参戦している感覚に近いかもしれません。若い選手はレギュラーツアーで死闘をくり広げますよね。やがてキャリアを重ねると、シニアツアーに参戦するようになる。すると、肩の力が抜けてプレーできると言います。じゃあ、遊びになるのかというと、そうではなく、もちろん本気です。若いころのように生活や将来はかかっていなくても、戦う気持ちはいささかも衰えていません」

 コロナ禍、緊急事態宣言中もスタジオにこもり、マスクをしてレコーディングに臨んだ。参加したゲストミュージシャンの顔ぶれも豪華だ。妻の松任谷由実、小原の妻の尾崎亜美、小坂忠、ブレッド&バター、吉田美奈子、矢野顕子……。

「ゲストについては“家族写真”をイメージしました。ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のような。あのアルバムのように、一枚の写真に僕たちも全員で収まりたかったんですよ。でも、スケジュールが合いませんでした」

 それでも、一緒に音楽は作れた。

「小原が書いた『Always』でみんなに歌ってもらいました。アルバム『SKYE』が一本の映画だとしたら、この曲はエンドロール的な作品だと、僕は感じています」

 このように「SKYE」は、メンバーの長いキャリアがあるからこそのアルバムだ。そして12月には4人全員が70歳を迎える。音を聴くと、こんなに楽しそうな70歳がいることに羨望と嫉妬を覚える。10代で知り合い、ともに演奏し、第一線で音楽を作り続け、今も一緒に音を出せるのだ。

「ふり返ると、30代はモノを知らなくて苦しかったけれど、自分の道を探ることはできました。40代は、30代に泳いだ水の続きを無駄のないフォームで泳ぎ続けた感じでしょうか。50代は、体は無駄な動きをしないけれど、脳はやたらと回転数が上がった気がします。60代は体にガタがき始めて、でも脳の回転数は落ちていないので、まだまだいける気がしていました。そして70代を迎えます。うちの親父がね、80代になるとガタがくる、と言っていたんですよ。だから、もう10年は頑張れるかな。座骨神経痛で靴下がはきづらくはなったけれど、30代よりも、40代よりも、今が一番楽しいことは間違いありません」

(取材・文=神舘和典)

▽松任谷正隆(まつとうや・まさたか) 1951年、東京都生まれ。4歳からクラシックピアノを習い、学生時代にバンド活動を始め、「キャラメル・ママ」を結成。その後アレンジャー、プロデューサーとして、妻である松任谷由実を筆頭に、松田聖子、ゆず、いきものがかりら多くのアーティストの作品に携わる。

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