森公美子さん サラ・ヴォーン「On A Clear Day」をハワイのXmasディナーショーで初めて聴いた時の衝撃
大きな体、迫力ある声でスイングしながら歌う姿
衝撃的だったのは中学に入って。中高一貫校に入ったのですが、中2の冬休み、クリスマス前に両親と兄弟と父の同級生の家族とハワイ旅行に行きました。宿泊していたホテルで、そこでやっていたのがサラ・ボーンのクリスマスディナーショー。両親が見に行ったのですが、その時、部屋にいた弟が熱を出し、親に伝えなきゃと思ってディナーショー会場に行きました。
入り口でテーブル番号を聞かれたので、6とか9とか言ったら会場に入れてくれました。そして入った途端に流れたのがサラ・ボーンの「On A Clear Day」。ステージで大きな体の女性がスイングしながら、迫力ある大きな声で歌っていた。私は彼女に圧倒され、まるで金縛りにでもあったようにその場に立ち尽くして。なんて素晴しい歌声なんだろう、私もこんなふうに歌えるようになりたい……。本気で音楽をやろうと思った瞬間です。
私は最後まで居続け夢のような時間を過ごしました。両親には弟が熱を出したことを伝えるのをすっかり忘れて(笑)。
■巨匠バーンスタイン「ウエスト・サイド物語」の話に感激
私は小さい時からピアノを習っていて家にピアノもあった。楽譜の読み方や書き方を教えるソルフェージュを習い、作曲コンクールにも出たりしていたし、母は仙台の人で戦後コロンビア大を出たGHQの人に中高から大学まで英語を教えてもらったそうで、英語はペラペラだった。その母親に「将来は歌手になりたい」と言ったら「もっとアカデミックに本格的な勉強をしなさい」と言われ、アカデミックという言葉をその時初めて知りました。音楽的には恵まれた環境だったと思います。
高校時代には留学も経験。その後の、ニューヨークのジュリアード音楽院に通っている時はABBAがはやっていて、それからカントリー、ジャズ、クラシックまであらゆるジャンルの音楽に魅了されました。
私の人生の一番の出会いは巨匠バーンスタインです。ボストンがあるニューイングランドのコンサルバトーリオ(音楽院)でバーンスタインが最後の授業をすることを知り、友人と3人でニューヨークからボストンまで行きました。
授業でもっとも印象的なのは「ウエスト・サイド物語」の話です。「ウエスト・サイド物語」を作る時に最初に考えた曲は「Somewhere(どこかで)」だったそうです。「ウエスト・サイド物語」は登場人物の2人が決闘で死んでいくけど、敵対するグループのトニーとマリアの2人はその場から逃れ、「どこかで暮らそう」と歌う。バーンスタインはまずその場面を考えたというのです。
クラシックの巨匠、バーンスタインからその話を聞いて、ミュージカルの名作がそうやってできたのかと感激し、すごいと思いました。作曲科や指揮科が座る前列の後方の席に座っていた私はバーンスタインから「どう思うか」と聞かれ、なんて答えていいかわからず「あなたを見に来ている」とかいうので精いっぱい。そして「世界的な指揮者の授業を受けることができるのは私にとって一番の宝物です」と言ったら、あのバーンスタインに「毎回私を見に来なさい」と言われました。