森公美子さん サラ・ヴォーン「On A Clear Day」をハワイのXmasディナーショーで初めて聴いた時の衝撃
ミラノで挫折、ロンドンで見た「マイ・フェア・レディ」で覚醒
大学は昭和音楽短大に進学。その頃やっていたのはクラシックです。ただ、そのまま安住したら井の中の蛙になると思って、20歳の時にイタリアに行こうと思い立ちました。
先立つものはお金です。母に成人式の着物の予算を聞いたら、「一生に一度だし、友禅の晴れ着にしようかと思っているから、400万円くらい」という。私は畳に頭を擦りつけて「本場のミラノで勉強したいからその400万円をください」とお願いし、飛び立ちました。
ミラノではコンサルバトーリオ(音楽院)に通い、発声と音楽を作っている先生のところとイタリア語の4つを同時に学びました。すごく充実しているなと思っていたある日、小さな劇場でオペラを見る機会があってハッと気付かされます。音楽院の同級生に「クミが初めてオペラを聴いたのは何歳?」と聞かれました。私は「昨日が初めてかな」と答えたら、彼女は「記憶にあるのは3歳。クミはこれから頑張らないとね」と言われて。ショックでしたね。それまで必死に勉強していたけど、「オペラは私に向いていないかも」と考え直す機会になりました。
父はいつも「必死にやってれば結果はすぐに出る、ダメだと思えばそこで落胆するのは時間がもったいない。次、次と新しいことに挑戦する。NEXT NEW! 人生は短い」と言っていた。私は初めて挫折を知りました。その時はバカンスシーズンで、ロンドンの叔母のところに行き、たまたま見たのがミュージカル「マイ・フェア・レディ」。そこで気がつきました。クラシックは歌に集中してしかめっ面で眉間にシワを寄せて歌うけど、ミュージカルはみんなニコニコして明るく笑ってやっている。私が求めていたものはこれかも、楽しそうな方が私には向いていると思いました。
帰国後、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」で有名な振付師の坂上道之助先生、東宝の名プロデューサーの佐藤勉さんと出会い、森繁久弥先生にもいろんなことを教わることができました。その時、森繁先生には芸名もつけていただき、それが「雷電為子」でした。江戸時代に雷電為右エ門という横綱がいて、それからとった名前でした(笑)。これからは雷電為子(森公美子)にしようかな。
■今年の大きな目標は11月「バグダッド・カフェ」
話は戻りますが、今、力を入れているのは原点ともいえるサラ・ボーンが歌っていたジャズです。もちろんミュージカルをやりながら。年齢的に声が低くなり、高音が出にくくなるものですが、私はまだまだキープできている。サラ・ボーンは低い声がステキですが、私もサラ・ボーンに負けないくらい出ます。幅広い音域で真っ向勝負。そのためにウオーミングアップの時間は長くとり、トレーニングを怠らないようにしています。
63歳で初めてブルーノート東京でジャズを歌いました。今は各地でジャズのコンサートをやっています。今年の大きな目標は11月にやるミュージカル「バグダッド・カフェ」です。楽しみにしてください。
(聞き手=峯田淳)
♪ミュージカル「バグダッド・カフェ」(11月2~23日、東京・日比谷シアタークリエ)