書き手も「ロックンロール」しなくてどうする
追悼 渋谷陽一②
今回も特別編として、先週、訃報が伝えられた音楽評論家・渋谷陽一の文章を紹介したい。
前回は1979年のコラムだったが、今回は、76年3月24日に書かれたレッド・ツェッペリンの傑作アルバム「プレゼンス」のライナーノーツである。
──楽器のフレーズとかボーカルの質とかいったものを超えた、音がそこにあるという重く確かな存在感だけを感じさせる、全く申し分ないツェッペリンの巨大な音を前に、僕はひたすら自分が開かれていくのを感じる。
当時の日本のツェッペリン・ファンのほとんどは渋谷陽一経由だったと聞くが、それもうなずける文章である。これを読んで「プレゼンス」を聴きたくならない音楽ファンは、今でも少ないのではないか。
要するに「書き手もロックンロールする」ということ。
平板な情報の平板な紹介ではなく、音楽から受けた自分なりの印象、心の揺れを、あくまで自分なりの筆致で書き切るということ。
それこそが私が渋谷陽一から学んだいちばん大切なことだった。