メディア人が肝に銘じるべき「ロックの伝道師」の腹のくくり方
追悼 渋谷陽一①
今日と明日は特別編として、先週、訃報が伝えられた音楽評論家にして、ロッキング・オン・グループ会長・渋谷陽一の追悼記事を書く。
連載テーマ「1975年」ともほぼ無関係な追悼文を、この枠に割り込ませることの許可を、編集部からいただいたのだ。ありがたい。
ただ単なる湿っぽい追悼はつまらないので、私が若い頃、刺激を受けた彼の言葉を紹介することとする。
彼がいなければ、私は音楽を書くという仕事を選んでいなかった。令和の世に「音楽評論家」なんて、いかめしい肩書を掲げているのも、彼の遺志を勝手に継いでいるつもりだからだ。
そんな私がもっとも影響を受けた渋谷陽一の言葉は、著書「音楽が終わった後に」(ロッキング・オン)収録、「メディアとしてのロックンロール」というコラムの中にあった、このフレーズだ。
──我々がコミュニケートしなければならないのは、きっとどこかに居るだろう自分のことをわかってくれる素敵な貴方ではなく、目の前に居るひとつも話の通じない最悪のその人なのである。