日本中の不幸を集めに集めた長嶋茂雄自身は幸福だったのか。ジョン・レノンのように歌えたのか
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した者だけでなく、ファンにまでそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけている。
今回は日刊ゲンダイ特別号「追悼 長嶋茂雄 50人の証言」に収録された、音楽評論家のスージー鈴木氏による回顧録を特別公開する。
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「スーパースターとは不幸の総和である」
ジョン・レノンが殺されたとき、音楽評論家の渋谷陽一はこう書いた。長嶋茂雄の訃報を聞いて、まず思い出したのは、この言葉だった。
私がプロ野球を見始めたのは1975(昭和50)年。長嶋現役引退の翌年。つまり私は「長嶋を知らない子供たち」の1期生だった。関西人ということもあり、長嶋ファン、巨人ファンだったことなど一日たりともなかった。
それでも昭和時代、敗戦の傷痕や貧困も生々しく、日本がまだまだシンプルに不幸だった時代に、日本中の不幸を集めに集めて、スーパースターとして輝いたのが長嶋茂雄だったーーそう捉え直すと、訃報を前に、背筋がすっと伸びる感じがしたのだった。