平田静子さん<4>「もう誰も愛さない」の原作本が大ヒット
フジテレビに入社して15年目の35歳のときに、扶桑社へ出向の辞令が出た。
「前身のリビングマガジンが倒産し、当時のフジテレビ副社長だった鹿内春雄さんが“1年間、この会社に行って立て直す”と、扶桑社に商号変更したころでした」
倒産した会社、しかもテレビ局ではなく出版社である。だれもが“左遷人事”だろうと思っていた。平田さんも、まさか自分に白羽の矢が立つとは思っていなかったという。
「内示が出たときには、ある社員から『静ネエ、聞いたよ。扶桑社に行くんだって? 辞めないよね!? 辞めないでくれよー』と電話がありました。それくらい左遷だと思われましたし、周囲は私が退職するのではないかと心配し、みんな気の毒がっていましたよ」
配属は宣伝部。
「それまで紙の媒体には何の興味もなかったですし、正直、読書をすることもほぼなかったです。ただ、それまでに経験した3つのセクションで、フジテレビはもちろん、系列局のキーマンとなる人も全員知っていたので、直接会って『この本を宣伝してください!』とお願いすることができた。事務処理や秘書的役割のなかで築いてきた人脈が生かされ始めたのです」