もっとお金を稼ぎたくて…研修先から失踪し夜の歌舞伎町へ
I氏は1970年生まれ。浙江省東部の港町、寧波の出身だ。彼女は高校卒業後、地元の繊維工場に就職して、平穏かつ質素な生活を送っていた。が、仕事にやり甲斐を見いだせず、心機一転、海外で一旗揚げようと考える。
海の向こうにある日本で、研修生として働いて技術を身につけながら稼げることを同僚から耳打ちされたからだ。
後述するが、「研修制度」とは名ばかり。短期間でひと稼ぎできたわけではない。それでもI氏は家族の反対を押し切って渡航を決心する。日本に行けば何かしらチャンスに巡り合えると信じたのだ。実家を担保に借金し、貯金をはたいて渡航費をつくった。さらに、親戚や同僚から総額200万円の借金をしたという。
「200万円は当時の相場です。日中間の研修ビジネスを斡旋する中国国内の送り出し機関と、日本の受け入れ機関にそれぞれ100万円の手数料を支払ったのです」(研修生事情に詳しいジャーナリスト)
I氏が初来日したのは、1997年の黄金周(ゴールデンウイーク)。岐阜県の田園地帯にある繊維工場の研修生となり、毎日8時間、黙々と裁縫作業を続けた。注文の多い時は、土日でも随時残業をさせられる。なのに手取りは月12万円しかもらえなかった。