「鋼鉄の城塞 ヤマトブジシンスイス」伊東潤氏
「鋼鉄の城塞 ヤマトブジシンスイス」伊東潤氏
歴史小説の第一人者である著者が、戦後80年となる今夏に上梓した本作。題材に選んだのは「戦艦大和」で、世界最大最強の戦艦建造に携わった人々をモデルに、前代未聞の国家プロジェクトを丹念に描いている。
「作家として“あの戦争”はいつか書かなければと思ってきました。しかし、戦後100年まで待つと85歳になってしまい、大長編を描き切る気力や体力が残っているか分からない。だから今回、思い切って全力をぶつけて執筆に挑みました」
時は昭和9(1934)年。京都帝国大学工学部造船学科を首席で卒業した占部健は、造船中尉として海軍艦政本部第四部への配属を命じられる。そこは海軍省外局のひとつで、部門ごとに世界の最新技術を研究し、新造船に反映させていくことが任務だった。第四部は基本計画と設計を担う部門であり、占部は戦艦大和の建造に人生を捧げることになる。
「当時の日本は、世界が航空機による戦闘へと変化する流れに逆行し、戦艦を軸に海軍を編成する大艦巨砲主義を信奉していました。そして、運用を担う軍令部の方針が一致しなかったことなどもあり、大和は持てる性能を十分に発揮できなかった。しかし重要なのは戦績ではなく、あの時代にあれほどの戦艦を造り上げたという事実です。私は大和を造った造船士官たちの姿を通じて、令和日本の製造業にエールを送りたかったんです」
大正11(1922)年のワシントン海軍軍縮条約により、米英日の主力艦最大保有量は5:5:3という制限がかけられた。そこで日本の造船技師たちは、条約の対象外となる補助艦の建造に注力。すると昭和5(1930)年、ロンドン軍縮会議で補助艦も対米英7割と制限されてしまう。
「大和は厳しく不利な状況下で、設計から建造、そして進水まで手探りで行われました。時代は違えども、“不可能”と諦めてしまってはどんなプロジェクトも成し遂げることはできない。その意味でも、大和建造の背景を多くの人に知ってもらいたいんです」
本作では、サイドストーリーのひとつとしてある陰謀事件が描かれている。占部と同郷の新聞記者、大場秀明の取材により、大和の情報が反政府組織へと渡り、出航前に爆破の危機が迫るのだ。
「陰謀事件は実際の記録として残っているものではありません。しかし、大和の建造には莫大な費用がかかるとして反対運動が起きていたり、戦艦『陸奥』が停泊中に原因不明の爆発で沈没するという事件はありました。リアリティーのあるサイドストーリーを盛り込むことで、大和とその建造に携わった人々の戦いがより重厚に描けたと思います」
戦争を題材にするにあたり、著者には辟易していることがあるという。
「以前、BC級戦犯裁判を題材にした『真実の航跡』を書いたときもそうなのですが、“戦争”というだけで思想的に右か左かと攻撃してくる層がいるんです。そういう人たちは、読みもせずに言うだけなので気にしませんが。それよりも、経済が衰退期に入った現在、かつて日本人が成し遂げた偉大なものづくりのひとつとして大和を知り、自信につなげてもらえればうれしいですね」
実在の人物が登場するプロローグとエピローグにも注目の本作。この夏、必読だ。 (幻冬舎 2420円)
▽伊東潤(いとう・じゅん) 1960年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。2007年「武田家滅亡」でデビュー。「国を蹴った男」で第34回吉川英治文学新人賞、「巨鯨の海」で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞、「峠越え」で第20回中山義秀文学賞など受賞多数。近刊に武田信玄と徳川家康の死闘を描く「天地震撼」がある。